西日暮里界隈のお寺
諏方神社をお参りした後に、周辺のお寺をお参りしました。

まずは諏方神社の別当寺であった浄光寺です。かつてはどこの街にもいた親方や頭のような風格があります。
私が生まれ育った街にもいました。反抗期の兄を人にらみで諫めるような人でした。

山門をくぐるとお地蔵さま達が出迎えてくれます。

このお寺の名物は、銅造地蔵菩薩です。
江戸六地蔵の三番目として知られております。このお地蔵さまは下谷心行寺の二世空無上人によって元禄4年に開眼したのですが、現存するのは千駄木にある専念寺と浄光寺だけです。
なお、このブログでも紹介しているこの浄名院(こちら)等の江戸六地蔵は地蔵坊正元の勧請によるもので別物です。

次にお参りした養福寺は朱塗りの仁王門が有名です。この界隈は寺町ですが朱塗りの仁王門があるのはこのお寺が唯一です。

こちらの仁王様は1700年代に建立されたものです。朱色のお姿は血色の良さを感じます。若々しさと健康美が魅力的でした。

鐘楼です。梅雨空にアジサイがよく映えていました。


先ほどのお寺から見て千駄木方面に下った場所にある青雲寺です。
このお寺の境内は清々しく、寺名にふさわしいです。事実江戸時代は季節の花が咲き誇るお寺として有名だったそうです。
また、戦後に建てられた重厚なお堂もよい感じです。この日は天候は残念でしたが、この季節ならではの雨に濡れた独特の風情を楽しめました。

まずは諏方神社の別当寺であった浄光寺です。かつてはどこの街にもいた親方や頭のような風格があります。
私が生まれ育った街にもいました。反抗期の兄を人にらみで諫めるような人でした。

山門をくぐるとお地蔵さま達が出迎えてくれます。

このお寺の名物は、銅造地蔵菩薩です。
江戸六地蔵の三番目として知られております。このお地蔵さまは下谷心行寺の二世空無上人によって元禄4年に開眼したのですが、現存するのは千駄木にある専念寺と浄光寺だけです。
なお、このブログでも紹介しているこの浄名院(こちら)等の江戸六地蔵は地蔵坊正元の勧請によるもので別物です。

次にお参りした養福寺は朱塗りの仁王門が有名です。この界隈は寺町ですが朱塗りの仁王門があるのはこのお寺が唯一です。

こちらの仁王様は1700年代に建立されたものです。朱色のお姿は血色の良さを感じます。若々しさと健康美が魅力的でした。

鐘楼です。梅雨空にアジサイがよく映えていました。


先ほどのお寺から見て千駄木方面に下った場所にある青雲寺です。
このお寺の境内は清々しく、寺名にふさわしいです。事実江戸時代は季節の花が咲き誇るお寺として有名だったそうです。
また、戦後に建てられた重厚なお堂もよい感じです。この日は天候は残念でしたが、この季節ならではの雨に濡れた独特の風情を楽しめました。
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諏方神社 荒川区西日暮里
6月22日に西日暮里界隈の寺社をお参りしました。
まずは諏方神社です。

1205年に豊島氏が創建した神社です。諏訪大社を勧請したものです。中世の頃は「諏方」という字を充てている例もあったようです。なお、都内には「諏訪神社」は数多いですが。「諏方」という字を用いているのはこの神社だけです。

いままでお会いした中で一番目がパッチりした狛犬様でした。


境内は緑が多く、この日は雨だったこっともあってマイナスイオンが多く清々しかったです。
この神社周辺は高台になっており、道灌山と呼ばれています。室町時代後期の武将・太田道灌の出城址という説、鎌倉時代の豪族・関道閑(せきどうかん)の屋敷址という説があるそうです。

手水舎です。四方に施された彫刻が見事です。

道灌山は西に富士山(近辺に富士見坂がある)、東に筑波山が見える景勝地と知られ、花の名所でもありました。現在は新幹線を見下ろすことができます。
さて、この神社は赤羽から神田周辺にかけて伸びる断崖にあります。この断崖は神田明神、湯島天神、寛永寺、谷中の寺町、この間にも数社挟んで、王子神社、王子稲荷と東京を代表する寺社が続いてます。


最近は彫刻に覆われた神社を好んでお参りしますが、シンプルながらも威厳を感じる社殿に心魅かれました。
建物の見事さも神社の魅力ですが、神社の威厳ある雰囲気を味わうもの良しです。

とはいえ、神社の見所は狛犬様です。冒頭の愛嬌がある狛犬様も良かったですが、こちらは隆々として勇ましいです。 雨に濡れて輝くさまはポーズを決めたボディービルダーのようです。
谷中のお寺参りの際は立ち寄りたい神社でした。
まずは諏方神社です。

1205年に豊島氏が創建した神社です。諏訪大社を勧請したものです。中世の頃は「諏方」という字を充てている例もあったようです。なお、都内には「諏訪神社」は数多いですが。「諏方」という字を用いているのはこの神社だけです。

いままでお会いした中で一番目がパッチりした狛犬様でした。


境内は緑が多く、この日は雨だったこっともあってマイナスイオンが多く清々しかったです。
この神社周辺は高台になっており、道灌山と呼ばれています。室町時代後期の武将・太田道灌の出城址という説、鎌倉時代の豪族・関道閑(せきどうかん)の屋敷址という説があるそうです。

手水舎です。四方に施された彫刻が見事です。

道灌山は西に富士山(近辺に富士見坂がある)、東に筑波山が見える景勝地と知られ、花の名所でもありました。現在は新幹線を見下ろすことができます。
さて、この神社は赤羽から神田周辺にかけて伸びる断崖にあります。この断崖は神田明神、湯島天神、寛永寺、谷中の寺町、この間にも数社挟んで、王子神社、王子稲荷と東京を代表する寺社が続いてます。


最近は彫刻に覆われた神社を好んでお参りしますが、シンプルながらも威厳を感じる社殿に心魅かれました。
建物の見事さも神社の魅力ですが、神社の威厳ある雰囲気を味わうもの良しです。

とはいえ、神社の見所は狛犬様です。冒頭の愛嬌がある狛犬様も良かったですが、こちらは隆々として勇ましいです。 雨に濡れて輝くさまはポーズを決めたボディービルダーのようです。
谷中のお寺参りの際は立ち寄りたい神社でした。
日暮里界隈のお寺
GWにクリムトの展覧会を見た後、日暮里界隈のお寺をお参りしたので紹介します。

本行寺です。景勝の地であったことから通称「月見寺」とも呼ばれています。高台にあり江戸時代は隅田川・筑波山そして富士山を臨むことができたのでそれはそれは美しい月見ができたことでしょう。

境内は新緑に満ちていました。

経王寺は山門に上野戦争の銃弾の痕が残っていることで有名ですが、秋は萩の花でも有名です。

本堂です。この日は参拝客よりお墓参りの方も多かったです。

延命院です。このお寺は境内には樹齢600年を超えるといわれる大椎(都指定天然記念物)で有名です。 このお寺の近くはゆうやけだんだんです。GWということで街歩きのメッカ谷中は普段の休日より混んでました。
また、今回紹介したお寺は日蓮宗なので御首題を頂こうかと思ってましたが、お墓参り方の対応で忙しいなか、マナー違反してまで頂くことはないと思い断念しました。

本行寺です。景勝の地であったことから通称「月見寺」とも呼ばれています。高台にあり江戸時代は隅田川・筑波山そして富士山を臨むことができたのでそれはそれは美しい月見ができたことでしょう。

境内は新緑に満ちていました。

経王寺は山門に上野戦争の銃弾の痕が残っていることで有名ですが、秋は萩の花でも有名です。

本堂です。この日は参拝客よりお墓参りの方も多かったです。

延命院です。このお寺は境内には樹齢600年を超えるといわれる大椎(都指定天然記念物)で有名です。 このお寺の近くはゆうやけだんだんです。GWということで街歩きのメッカ谷中は普段の休日より混んでました。
また、今回紹介したお寺は日蓮宗なので御首題を頂こうかと思ってましたが、お墓参り方の対応で忙しいなか、マナー違反してまで頂くことはないと思い断念しました。
東禅寺と三ノ輪橋界隈のお寺
8月28日の午前中、荒川区南千住にある素盞雄神社をお参りした後、まず向かったのが円通寺です。
(小さい画像はクリックすると拡大します。)

荒川区南千住にあるお寺です。
斬新な本堂から最近創建されたお寺と思いきや791年に坂上田村麻呂が蝦夷へ赴く際に創建したそうです。なんと清水寺よりも古いということになります。観音様から見守られている気分がするよいお寺です。

次に訪れたのが同じく荒川区南千住の延命寺。地下鉄日比谷線とJR常磐線の高架に挟まれた場所にあります。江戸時代は小塚原の処刑場だった場所にあるお寺です。この首切り地蔵様は処刑者を弔うために建立されました。
左の画像にお題目の碑がありますが浄土宗のお寺です。

南千住から東禅寺がある台東区東浅草一体がいわゆる「山谷」です。明日のジョーの舞台としても知られます。
最近は日比谷線に乗れば六本木、秋葉原、上野といった観光地へ乗り換えなしで行けて成田の玄関日暮里も近いことからドヤ街はバックパッカーの街になっているそうです。

このお寺は江戸6地蔵の一つであります。このお寺の近所はいわゆる「吉原」あり、小さな町工場ありと同じく台東区にある浄名院とは違った趣の場所にあります。
(小さい画像はクリックすると拡大します。)


荒川区南千住にあるお寺です。
斬新な本堂から最近創建されたお寺と思いきや791年に坂上田村麻呂が蝦夷へ赴く際に創建したそうです。なんと清水寺よりも古いということになります。観音様から見守られている気分がするよいお寺です。


次に訪れたのが同じく荒川区南千住の延命寺。地下鉄日比谷線とJR常磐線の高架に挟まれた場所にあります。江戸時代は小塚原の処刑場だった場所にあるお寺です。この首切り地蔵様は処刑者を弔うために建立されました。
左の画像にお題目の碑がありますが浄土宗のお寺です。

南千住から東禅寺がある台東区東浅草一体がいわゆる「山谷」です。明日のジョーの舞台としても知られます。
最近は日比谷線に乗れば六本木、秋葉原、上野といった観光地へ乗り換えなしで行けて成田の玄関日暮里も近いことからドヤ街はバックパッカーの街になっているそうです。

このお寺は江戸6地蔵の一つであります。このお寺の近所はいわゆる「吉原」あり、小さな町工場ありと同じく台東区にある浄名院とは違った趣の場所にあります。