耳無不動三峰神社 荒川区荒川
三河稲荷神社をお参りした後、耳無不動三峰神社に向かいました。

道中にある三河島竜神です。路地裏にひっそりとある祠は風情があります。三河島という地名は3本の川の中州だったことに由来する説があります。であれば水の神を祀る祠が残っていても不思議ではないです。

耳無不動三峰神社の鳥居です。扁額の周りに鎖が巻かれていますが何か謂れがあるのでしょうか?鳥居の先には力石があり重さは46貫。なんと172.5kg!!

創建時期は不明です。この日の天気はノスタルジックになりがちな曇りだったので昭和に戻った気分になります。

三峰神社なのでお狗様がいらっしゃります。いままでお会いしたお狗様の中で一番かわいくてリアルです。

三峰神社の隣にあるのが「袈裟塚の耳無不動」です。

「耳無不動」にまつわる伝説を要約すると、、、
・かつて近隣にあった仙光院の住職光慧はお絹という女性を追って江戸に来たけどあきらめて僧侶になった。
・ある日お絹が吉原にいることが分かりお寺のお金で吉原がよいにはまってお寺を追い出された。
・その後、仙光院の住職として招かれるが、悪事の結果か、仏罰として腰が抜け、果ては耳まで落ちてしまう悪病に苦しみようになった
・ある夜、夢枕に仙光院の本尊のお不動様が立ち、「村人たちの救済に努めよ。そうすれば救われる」と告げられた。
この不動明王は、左耳が無く、耳の病などにご利益があると伝えられ、穴をあけたお椀を奉納する慣わしがあります。
街角の神社は地域で語りつがれてきた昔話も残っています。非常に有意義な神社でした。

道中にある三河島竜神です。路地裏にひっそりとある祠は風情があります。三河島という地名は3本の川の中州だったことに由来する説があります。であれば水の神を祀る祠が残っていても不思議ではないです。

耳無不動三峰神社の鳥居です。扁額の周りに鎖が巻かれていますが何か謂れがあるのでしょうか?鳥居の先には力石があり重さは46貫。なんと172.5kg!!

創建時期は不明です。この日の天気はノスタルジックになりがちな曇りだったので昭和に戻った気分になります。

三峰神社なのでお狗様がいらっしゃります。いままでお会いしたお狗様の中で一番かわいくてリアルです。

三峰神社の隣にあるのが「袈裟塚の耳無不動」です。

「耳無不動」にまつわる伝説を要約すると、、、
・かつて近隣にあった仙光院の住職光慧はお絹という女性を追って江戸に来たけどあきらめて僧侶になった。
・ある日お絹が吉原にいることが分かりお寺のお金で吉原がよいにはまってお寺を追い出された。
・その後、仙光院の住職として招かれるが、悪事の結果か、仏罰として腰が抜け、果ては耳まで落ちてしまう悪病に苦しみようになった
・ある夜、夢枕に仙光院の本尊のお不動様が立ち、「村人たちの救済に努めよ。そうすれば救われる」と告げられた。
この不動明王は、左耳が無く、耳の病などにご利益があると伝えられ、穴をあけたお椀を奉納する慣わしがあります。
街角の神社は地域で語りつがれてきた昔話も残っています。非常に有意義な神社でした。
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三河島稲荷神社 荒川区荒川
2月3日に常磐線三河島駅周辺の神社をお参りしたので照会します。まずは三河稲荷神社です

三河島駅は貨物線が分岐しています。ちょうど国鉄型の電気機関車であるEF65が通過したので写しました。国鉄型車両はライトが丸いので表情が柔らかいですね。

三河島稲荷神社は三河島駅から歩いて10分の場所に鎮座しています。

1578年頃創建されました。疫病から護ってくれる疱瘡神も祀られているそうです。まだまだコ××は余談が許さないから御利益がありです。

脚気に効き目があるとして参詣する人が多く、祈願成就の時には草鞋を奉納したそうです。こちらは御神木です。樹齢650年の欅ですが、切株のみが残されています。見てのとおり大切に祀られています。

三河島の地名の由来は、三本の川が交わる場所であった説があります。川の流れのような扁額がいい感じでした。

荒川区は江戸近郊の農村地帯だったので、狐も多くいたと思われます。社殿に施された狐の彫刻もいい感じですね。
再開発が進んでいますが路地裏はまだまだ昭和な雰囲気です。次回紹介する神社への道中は昭和時代の商店街で生まれ育った私にとって既視感がありました。

三河島駅は貨物線が分岐しています。ちょうど国鉄型の電気機関車であるEF65が通過したので写しました。国鉄型車両はライトが丸いので表情が柔らかいですね。

三河島稲荷神社は三河島駅から歩いて10分の場所に鎮座しています。

1578年頃創建されました。疫病から護ってくれる疱瘡神も祀られているそうです。まだまだコ××は余談が許さないから御利益がありです。

脚気に効き目があるとして参詣する人が多く、祈願成就の時には草鞋を奉納したそうです。こちらは御神木です。樹齢650年の欅ですが、切株のみが残されています。見てのとおり大切に祀られています。

三河島の地名の由来は、三本の川が交わる場所であった説があります。川の流れのような扁額がいい感じでした。

荒川区は江戸近郊の農村地帯だったので、狐も多くいたと思われます。社殿に施された狐の彫刻もいい感じですね。
再開発が進んでいますが路地裏はまだまだ昭和な雰囲気です。次回紹介する神社への道中は昭和時代の商店街で生まれ育った私にとって既視感がありました。
日暮里駅東口の寺社
4月9日に日暮里駅東口界隈の寺社をお参りしました。

まずは鍛冶稲荷神社です。東口から見て西日暮里方面にあります。

スレンダーなお稲荷様が美しい神社でした。

東口からみて鶯谷方面にある善性寺です。1487年に創建され、166年に6代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となりました。門の手前にある橋の遺構は「将軍橋」と呼ばれるものです。

日蓮宗のお寺らしくにらみのきいた龍の彫刻が山門に掲げられています。

新緑とのコントラストが美しい桜です。このお寺の桜は遅咲きのようです。

不二大黒天様です。お寺のサイトによると「脚を投げだして坐り、右肩に小槌をのせ、左手に持った小判を人びとに分け与えようとしている珍しい姿態の尊像で、安土桃山時代(1568〜600)の作と伝えられています。」とのことです。

境内社の「隼人稲荷」です。創建年代は不明ですが鬼門除けにに勧請したと伝えられます。隼人という勇ましい名称の理由が分かった気がします。このお寺の近くに羽二重団子の店舗があります。日暮里の寺社巡りは西口の谷中界隈に目がいきますが、繊維街の入口である東口も捨てがたいですよ。

まずは鍛冶稲荷神社です。東口から見て西日暮里方面にあります。

スレンダーなお稲荷様が美しい神社でした。

東口からみて鶯谷方面にある善性寺です。1487年に創建され、166年に6代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となりました。門の手前にある橋の遺構は「将軍橋」と呼ばれるものです。

日蓮宗のお寺らしくにらみのきいた龍の彫刻が山門に掲げられています。

新緑とのコントラストが美しい桜です。このお寺の桜は遅咲きのようです。

不二大黒天様です。お寺のサイトによると「脚を投げだして坐り、右肩に小槌をのせ、左手に持った小判を人びとに分け与えようとしている珍しい姿態の尊像で、安土桃山時代(1568〜600)の作と伝えられています。」とのことです。

境内社の「隼人稲荷」です。創建年代は不明ですが鬼門除けにに勧請したと伝えられます。隼人という勇ましい名称の理由が分かった気がします。このお寺の近くに羽二重団子の店舗があります。日暮里の寺社巡りは西口の谷中界隈に目がいきますが、繊維街の入口である東口も捨てがたいですよ。
石浜神社 荒川区南千住
南千住界隈の寺社巡りは今回紹介する石浜神社で最終回です。

石浜神社は墨田川の白髭橋のたもとにあります。隣には東京ガスのガスタンクがあるため、一の鳥居付近は独特な雰囲気です。

参道の右側は墨田川です。そのため景観を損なうような建物がなく前回紹介した神社以上に開放感があります。

724年に聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社で、源頼朝が奥州侵攻時に当社で祈願、大勝したことから社殿を造営されたそうです。

獅子頭です。喝を入れていただいた気分になります。
伊勢参宮が困難な人はこの神社で祓を受けたそうです。

境内社のお稲荷様です。野趣がありかつ空の広さを感じます。私がお参りした都内のお稲荷様の中で最も尊さを感じました。

富士塚です。都内の富士塚はどうしたも周囲の建物が視界に入りますが、後方は墨田川なので建物がなく、富士山の頂にいるような気分になるくらい空の広さを感じるので、私が見た富士塚で最も美しいです。

祭神は天照大御神です。こちらは岩戸隠れを描いた額です。さて、南千住には天照大御神の弟である素盞雄大神を祀る神社もあります。南千住は墨田川が描く弧の内側にあります。始点に天照大御神、終点に素盞雄大神とは何やら意味がありそうでね。

狛犬様とガスタンク。東京のインフラを護っているかのようです。
この神社は今までお参りした23区の神社の中で一番青空の広さを感じることができるので心も晴れます。私がお勧めしたい第1位の神社です。是非お参りください。
このブログの主な富士塚の記事もどうぞ!
海蔵寺(富士講の創始者、身禄行者の墓がある)
護国寺(このブログで一番最初に紹介した寺社にして富士塚)
鳩森八幡神社(東京最古の富士塚)
品川神社(都内最大の富士塚)

石浜神社は墨田川の白髭橋のたもとにあります。隣には東京ガスのガスタンクがあるため、一の鳥居付近は独特な雰囲気です。

参道の右側は墨田川です。そのため景観を損なうような建物がなく前回紹介した神社以上に開放感があります。

724年に聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社で、源頼朝が奥州侵攻時に当社で祈願、大勝したことから社殿を造営されたそうです。

獅子頭です。喝を入れていただいた気分になります。
伊勢参宮が困難な人はこの神社で祓を受けたそうです。

境内社のお稲荷様です。野趣がありかつ空の広さを感じます。私がお参りした都内のお稲荷様の中で最も尊さを感じました。

富士塚です。都内の富士塚はどうしたも周囲の建物が視界に入りますが、後方は墨田川なので建物がなく、富士山の頂にいるような気分になるくらい空の広さを感じるので、私が見た富士塚で最も美しいです。

祭神は天照大御神です。こちらは岩戸隠れを描いた額です。さて、南千住には天照大御神の弟である素盞雄大神を祀る神社もあります。南千住は墨田川が描く弧の内側にあります。始点に天照大御神、終点に素盞雄大神とは何やら意味がありそうでね。

狛犬様とガスタンク。東京のインフラを護っているかのようです。
この神社は今までお参りした23区の神社の中で一番青空の広さを感じることができるので心も晴れます。私がお勧めしたい第1位の神社です。是非お参りください。
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海蔵寺(富士講の創始者、身禄行者の墓がある)
護国寺(このブログで一番最初に紹介した寺社にして富士塚)
鳩森八幡神社(東京最古の富士塚)
品川神社(都内最大の富士塚)