川越寺社巡りその3
川越寺社巡りの最終回です。
今回紹介するのは日本3大東照宮の一つ、千波東照宮です。

随身門です。徳川家康の遺骸を久能山東照宮から日光東照宮に遷座する際、川越で法要を行った際に使用したお堂とのことです。

幣殿です。この神社はお社が塀で囲まれており、塀の隙間から彫刻を見ることができます。

雨に濡れてしっとりした朱色もまた良しです。


雨で傘を差しながらコンデジで撮影したので若干ピンぼけで恐縮ですが、麒麟です。日光東照宮・久能山東照宮と比べるとコンパクトですがじっくりゆっくり鑑賞するにはちょうど良く、親しみやすさは他の2社以上にあります。

徳川家を守る旗本たちにように整然と並ぶ石灯籠も良しです。義父は私の父をみて三河武士のようだといいました。実際私の父方の実家は岡崎がルーツです。自分のルーツが徳川家のおひざ元のせいか徳川家ゆかりの寺社には特別な感情を持ちます。
でも、先祖は三河以来の侍ではないです。実家は布団屋です。三河は綿花の栽培が盛んだったので布団屋が多いのです

本殿の彫刻です。雨でも色彩豊かです。

獅子です。やや小さめのせいか可愛らしさを感じます。
前々から川越の喜多院をお参りしたかったので、雨とはいえ楽しむことができました。
川越には氷川神社というこれまた彫刻が素晴らしい神社もありますが、この日は雨のため断念、また川越市内から外れますが道教の寺院もあり、ここもお参りしたいですし、川越からさらに寄居に向かった先にある箭弓稲荷神社もお参りしたいです。
このブログの訪問者様が例のアレに感染しないことを祈ってます。
このブログで紹介している他の東照宮の記事もどうぞ!
芝東照宮
久能山東照宮
上野東照宮
今回紹介するのは日本3大東照宮の一つ、千波東照宮です。

随身門です。徳川家康の遺骸を久能山東照宮から日光東照宮に遷座する際、川越で法要を行った際に使用したお堂とのことです。

幣殿です。この神社はお社が塀で囲まれており、塀の隙間から彫刻を見ることができます。

雨に濡れてしっとりした朱色もまた良しです。


雨で傘を差しながらコンデジで撮影したので若干ピンぼけで恐縮ですが、麒麟です。日光東照宮・久能山東照宮と比べるとコンパクトですがじっくりゆっくり鑑賞するにはちょうど良く、親しみやすさは他の2社以上にあります。

徳川家を守る旗本たちにように整然と並ぶ石灯籠も良しです。義父は私の父をみて三河武士のようだといいました。実際私の父方の実家は岡崎がルーツです。自分のルーツが徳川家のおひざ元のせいか徳川家ゆかりの寺社には特別な感情を持ちます。
でも、先祖は三河以来の侍ではないです。実家は布団屋です。三河は綿花の栽培が盛んだったので布団屋が多いのです

本殿の彫刻です。雨でも色彩豊かです。

獅子です。やや小さめのせいか可愛らしさを感じます。
前々から川越の喜多院をお参りしたかったので、雨とはいえ楽しむことができました。
川越には氷川神社というこれまた彫刻が素晴らしい神社もありますが、この日は雨のため断念、また川越市内から外れますが道教の寺院もあり、ここもお参りしたいですし、川越からさらに寄居に向かった先にある箭弓稲荷神社もお参りしたいです。
このブログの訪問者様が例のアレに感染しないことを祈ってます。
このブログで紹介している他の東照宮の記事もどうぞ!
芝東照宮
久能山東照宮
上野東照宮
スポンサーサイト
川越寺社巡りその2
川越寺社巡り第2弾です。
城下町である川越は寺社も多く、その筆頭は喜多院です。

国の指定文化財である山門です。1632年に天海僧正により建立されました。
前回紹介した鐘楼門とは対照的にこちらは質実剛健な美しさがあります。

多宝塔です。下層の方型、上層の円形、全体的には三角に見えます。仏教では世界は〇、△、□で成り立っているそうなので、この建物は世界を表していると解釈しました。

江戸城のから移築した「徳川家光誕生の間」と「春日局化粧の間」がある書院です。喜多院の見どころは江戸城の遺構が保存されてることですが、 室内は撮影禁止です。

遠州流庭園です。本格的な日本庭園を愛でるの久々です。この日は平日で雨がちだったので空いていました。
おかげで庭をじっくり堪能できました。雨だれの音が美しく響く仕掛けがありました。

五百羅漢です。1782年から1825年にかけて建立されたものです。

五百羅漢は自分に似た羅漢がいるそうですが、この頭をかく羅漢様は私に似てます。なぜなら私には頭をかく癖があるからです。

釈迦如来様と文殊・普賢菩薩様です。

.jpg)
慈恵堂と慈眼堂です。優秀な軍人のように規律のあるお堂と感じました。

御朱印です。喜多院は質実剛健な美しさがあるお寺でしたが、幕府の主要幕閣は元々は質実剛健をモットーとする三河武士です。このお寺は三河武士の精神を具現化したようでした。
次回は絢爛豪華な神社です。
城下町である川越は寺社も多く、その筆頭は喜多院です。

国の指定文化財である山門です。1632年に天海僧正により建立されました。
前回紹介した鐘楼門とは対照的にこちらは質実剛健な美しさがあります。

多宝塔です。下層の方型、上層の円形、全体的には三角に見えます。仏教では世界は〇、△、□で成り立っているそうなので、この建物は世界を表していると解釈しました。

江戸城のから移築した「徳川家光誕生の間」と「春日局化粧の間」がある書院です。喜多院の見どころは江戸城の遺構が保存されてることですが、 室内は撮影禁止です。

遠州流庭園です。本格的な日本庭園を愛でるの久々です。この日は平日で雨がちだったので空いていました。
おかげで庭をじっくり堪能できました。雨だれの音が美しく響く仕掛けがありました。

五百羅漢です。1782年から1825年にかけて建立されたものです。

五百羅漢は自分に似た羅漢がいるそうですが、この頭をかく羅漢様は私に似てます。なぜなら私には頭をかく癖があるからです。

釈迦如来様と文殊・普賢菩薩様です。

.jpg)
慈恵堂と慈眼堂です。優秀な軍人のように規律のあるお堂と感じました。

御朱印です。喜多院は質実剛健な美しさがあるお寺でしたが、幕府の主要幕閣は元々は質実剛健をモットーとする三河武士です。このお寺は三河武士の精神を具現化したようでした。
次回は絢爛豪華な神社です。
川越寺社巡りその1
3月4日は会社が休みだったので、川越の寺社巡りをしました。3回にわたり紹介します。
まずは東武東上線の川越駅から喜多院に行く道中にある川越八幡宮です。


1030年に源頼信が平忠常の乱平定の祈願をここで行い、戦勝に感謝したといういわれがある古社です。
八幡宮の「八」の字が鳩をかたどっているところが素晴らしいです。


赤いマフラーが印象的な狛犬さまです。境内社である民部稲荷神社は足腰が強くなる御利益があるそうです。

参道の赤い灯篭が綺麗でした。

次にお参りしたのは喜多院近くにある日枝神社です。
慈覚大師が830年に喜多院を創建した際、その鎮守として坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれています。

本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されています。
川越は太田道灌が戦略上の拠点と位置づけ開発をした地域です。そのことも関係して東京赤坂の日枝神社(こちら)は太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したものだそうです。

国の指定文化財である喜多院の鐘楼門です。
川越は江戸幕府にとっても戦略上の拠点だったので主要な幕閣が代々藩主を務めました。そのため江戸時代は栄えていたのでお寺の装飾も豪華だったようです。

表側には龍、裏側には鷹の彫刻が施されています。守護者としてにらみきいた龍です。
この日は雨でテンションが低めでしたが、そのような気分が吹き飛ぶような勇壮な龍でした。次回は喜多院の境内です。
まずは東武東上線の川越駅から喜多院に行く道中にある川越八幡宮です。


1030年に源頼信が平忠常の乱平定の祈願をここで行い、戦勝に感謝したといういわれがある古社です。
八幡宮の「八」の字が鳩をかたどっているところが素晴らしいです。


赤いマフラーが印象的な狛犬さまです。境内社である民部稲荷神社は足腰が強くなる御利益があるそうです。

参道の赤い灯篭が綺麗でした。

次にお参りしたのは喜多院近くにある日枝神社です。
慈覚大師が830年に喜多院を創建した際、その鎮守として坂本の日吉大社を勧請したものであるといわれています。

本殿は朱塗りの三間社流造、銅板葺で国の重要文化財に指定されています。
川越は太田道灌が戦略上の拠点と位置づけ開発をした地域です。そのことも関係して東京赤坂の日枝神社(こちら)は太田道灌が江戸城築城の際に、この川越日枝神社から分祀したものだそうです。

国の指定文化財である喜多院の鐘楼門です。
川越は江戸幕府にとっても戦略上の拠点だったので主要な幕閣が代々藩主を務めました。そのため江戸時代は栄えていたのでお寺の装飾も豪華だったようです。

表側には龍、裏側には鷹の彫刻が施されています。守護者としてにらみきいた龍です。
この日は雨でテンションが低めでしたが、そのような気分が吹き飛ぶような勇壮な龍でした。次回は喜多院の境内です。
平林寺 埼玉県新座市
新緑の季節なので、今回紹介するお寺は埼玉県新座市にある平林寺です。

茅葺屋根の総門です。都心の寺社では見ることができない鄙びた趣がいいです。

山門です。
このお寺は1375年に現在のさいたま市岩槻区に建立され、1663年に現在の場所へ移転しました。この山門は移築されたものです。

青もみじに囲まれて風情があります。京都に行かなくてもこのような風景は楽しめます。山門をくぐると仏殿ですが6月末まで改装中でした。

半僧坊感応殿です。半僧坊とは山を護る鎮守で、衆生にご利益を施す大権現とのことです。

片割れ地蔵です。もとは1対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったといわれています。この日は午前中は雨交じりでしたが、おかげで晴れた日よりもマイナスイオンを感じることができました。そのせいかお地蔵様のお顔もより穏やかです。

卵塔です。修行半ばにしてこの世を去った雲水達の墓です。
このお寺は臨済宗の道場で、雲水たちが日夜修業をしています。


大河内松平家廟所です。
大河内松平家は、第3代将軍徳川家光、第4代将軍徳川家綱に老中として仕え、川越藩主でもあった松平伊豆守信綱によって興された一族です。墓石数、保存状態の良さとも全国有数の廟所です。
整然と立ち並ぶ石灯籠に圧倒されます。中東やギリシャの古代遺跡にいるような気分です。


このお寺の最大の見どころは、雑木林を主とする広大な境内林です。東京ドームおよそ9個分の面積があり、かつての武蔵野の雑木林の面影を残す貴重な文化財として国指定天然記念物とされています。

野火止塚です。
この地には野火を見張るための小高い土盛りが数多く点在したと言われます。他にも業平塚と呼ばれる塚もあります。
このお寺は池袋から東上線または西武池袋線に乗って途中バスに乗り換えて概ね1時間。バスの本数もそこそこあるのでアクセスは良いです。
このお寺の良いところは広大に広がる台地を連想する武蔵野という言葉を体感できること、かつては都市近郊にもあった雑木林が維持されていることです。
このお寺は雲水の道場であるため神聖な気に満ちています。また、雑木林の木々による森林浴は癒しを与えてくれるので、寺社の良い気を感じることを主目的にしている方にはお勧めです。
※ このお寺は御朱印がありません。

茅葺屋根の総門です。都心の寺社では見ることができない鄙びた趣がいいです。

山門です。
このお寺は1375年に現在のさいたま市岩槻区に建立され、1663年に現在の場所へ移転しました。この山門は移築されたものです。

青もみじに囲まれて風情があります。京都に行かなくてもこのような風景は楽しめます。山門をくぐると仏殿ですが6月末まで改装中でした。

半僧坊感応殿です。半僧坊とは山を護る鎮守で、衆生にご利益を施す大権現とのことです。

片割れ地蔵です。もとは1対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったといわれています。この日は午前中は雨交じりでしたが、おかげで晴れた日よりもマイナスイオンを感じることができました。そのせいかお地蔵様のお顔もより穏やかです。

卵塔です。修行半ばにしてこの世を去った雲水達の墓です。
このお寺は臨済宗の道場で、雲水たちが日夜修業をしています。


大河内松平家廟所です。
大河内松平家は、第3代将軍徳川家光、第4代将軍徳川家綱に老中として仕え、川越藩主でもあった松平伊豆守信綱によって興された一族です。墓石数、保存状態の良さとも全国有数の廟所です。
整然と立ち並ぶ石灯籠に圧倒されます。中東やギリシャの古代遺跡にいるような気分です。


このお寺の最大の見どころは、雑木林を主とする広大な境内林です。東京ドームおよそ9個分の面積があり、かつての武蔵野の雑木林の面影を残す貴重な文化財として国指定天然記念物とされています。

野火止塚です。
この地には野火を見張るための小高い土盛りが数多く点在したと言われます。他にも業平塚と呼ばれる塚もあります。
このお寺は池袋から東上線または西武池袋線に乗って途中バスに乗り換えて概ね1時間。バスの本数もそこそこあるのでアクセスは良いです。
このお寺の良いところは広大に広がる台地を連想する武蔵野という言葉を体感できること、かつては都市近郊にもあった雑木林が維持されていることです。
このお寺は雲水の道場であるため神聖な気に満ちています。また、雑木林の木々による森林浴は癒しを与えてくれるので、寺社の良い気を感じることを主目的にしている方にはお勧めです。
※ このお寺は御朱印がありません。