神田明神その2 千代田区外神田
10月3日に江戸城天守復元模型を見た後、神田明神をお参りしました。

まずは神田明神の脇にある「遠藤家旧店舗・住宅主屋」です。昭和2年に建設された木造住宅兼店舗です。

遠藤家は江戸城築城の頃から続く材木商で神田明神氏子総代です。もともとこの地にあったのですが府中に移設。2009年にまた戻ってきました。

神田明神内にある江戸神社です。702年頃に創建された東京最古の神社です。元々は現在の皇居にあったそうです。
皇居のある場所は古代から聖地だったようですね。

同じく境内にある末廣稲荷神社です。
さて、私が勧める日本酒の一つは福島県の末廣です。純米生酒のイチゴのようなフルーティーさは絶品です。

獅子山です。神田明神の艶やかな社殿とは対照的に重厚な雰囲気が好きです。


狛犬様です。都内には様々な狛犬様がいらっしゃりますが神田明神の狛犬様が精悍でかっこいいから一番推します。


神田明神をお参りする機会は多く、この艶やかな社殿はいつ見ても美しいです。

最後に、神田明神の「IT情報安全守護」です。
システム担当部門にいますが最近トラブル続き。どんなにテストやレビューをしてもシステムは障害をおこし、ウィルスは勝手に飛んできます。
先日東京証券取引所が障害をおこしましたが、多分担当者はSEの報告書を役員向けに翻訳する作業とか監査部門からのダメ出しに困惑しているのだろうなと思うと同情します。
システム障害は人智を超えているので、神田明神の御利益をいただきたいと思い今回お参りしました。
神田明神その1はこちらです

まずは神田明神の脇にある「遠藤家旧店舗・住宅主屋」です。昭和2年に建設された木造住宅兼店舗です。

遠藤家は江戸城築城の頃から続く材木商で神田明神氏子総代です。もともとこの地にあったのですが府中に移設。2009年にまた戻ってきました。

神田明神内にある江戸神社です。702年頃に創建された東京最古の神社です。元々は現在の皇居にあったそうです。
皇居のある場所は古代から聖地だったようですね。

同じく境内にある末廣稲荷神社です。
さて、私が勧める日本酒の一つは福島県の末廣です。純米生酒のイチゴのようなフルーティーさは絶品です。

獅子山です。神田明神の艶やかな社殿とは対照的に重厚な雰囲気が好きです。


狛犬様です。都内には様々な狛犬様がいらっしゃりますが神田明神の狛犬様が精悍でかっこいいから一番推します。


神田明神をお参りする機会は多く、この艶やかな社殿はいつ見ても美しいです。

最後に、神田明神の「IT情報安全守護」です。
システム担当部門にいますが最近トラブル続き。どんなにテストやレビューをしてもシステムは障害をおこし、ウィルスは勝手に飛んできます。
先日東京証券取引所が障害をおこしましたが、多分担当者はSEの報告書を役員向けに翻訳する作業とか監査部門からのダメ出しに困惑しているのだろうなと思うと同情します。
システム障害は人智を超えているので、神田明神の御利益をいただきたいと思い今回お参りしました。
神田明神その1はこちらです
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平河天満宮 千代田区平河町
12月13日に砂防会館で研修があり直行したので、近所にある平河天満宮をお参りしました。

地下鉄半蔵門駅から坂道を下って5分。この辺りは下町と山手の境界にあたるので起伏に富んだ地形です。

青銅の鳥居は冬空に映えます。冬は金属の冷たい美しさが際立つからです。

天神様なので眷属の牛様がいらっしゃrますが、ほかの天神さまと比べると多いです。

この神社も太田道灌が江戸城内に創祀し、江戸開府による拡張工事でこの地に遷座しました。
それにしても太田道灌は江戸城内と周辺に何社神社を創祀したのでしょうか。。。。
平河稲荷神社です。
ちなみに、江戸は「戸」のつく地名から察しのとおり中世の頃は港町としてそこそこ繁栄していたらしいです。だからこそ太田道灌も城を築いて利権を確保したのでしょう。

社殿です。 千代田区は日枝神社、神田明神、靖国神社と東京を代表する神社が多いですが、この神社は格式が高く、宮司は単独で徳川将軍に拝謁できたそうです。
この神社をお参りした後、砂防会館に行きました。この会館の最寄り駅は永田町、半蔵門線の永田町駅から地上に出るには何回も長いエレベータに乗るので地下シェルターかと思われがちです。
しかし、周辺は起伏に富んだ地形で永田町の地上出口はいわば頂上、半蔵門線は比較的新しい路線なので駅が深いので、地上に出るには何回も長いエレベータに乗るのは当然と思いました。

地下鉄半蔵門駅から坂道を下って5分。この辺りは下町と山手の境界にあたるので起伏に富んだ地形です。

青銅の鳥居は冬空に映えます。冬は金属の冷たい美しさが際立つからです。

天神様なので眷属の牛様がいらっしゃrますが、ほかの天神さまと比べると多いです。

この神社も太田道灌が江戸城内に創祀し、江戸開府による拡張工事でこの地に遷座しました。
それにしても太田道灌は江戸城内と周辺に何社神社を創祀したのでしょうか。。。。

平河稲荷神社です。
ちなみに、江戸は「戸」のつく地名から察しのとおり中世の頃は港町としてそこそこ繁栄していたらしいです。だからこそ太田道灌も城を築いて利権を確保したのでしょう。

社殿です。 千代田区は日枝神社、神田明神、靖国神社と東京を代表する神社が多いですが、この神社は格式が高く、宮司は単独で徳川将軍に拝謁できたそうです。
この神社をお参りした後、砂防会館に行きました。この会館の最寄り駅は永田町、半蔵門線の永田町駅から地上に出るには何回も長いエレベータに乗るので地下シェルターかと思われがちです。
しかし、周辺は起伏に富んだ地形で永田町の地上出口はいわば頂上、半蔵門線は比較的新しい路線なので駅が深いので、地上に出るには何回も長いエレベータに乗るのは当然と思いました。
将門塚 千代田区大手町
6月中旬に大手町から直帰した際、将門塚をお参りしました。
まずは皇居の大手門です。大手町の由来なので紹介しました。

将門塚は大手門の近くにあります。

再開発を繰り返す大手町の一角にあります。、画像の上あたりに屋根があることに注目してください。
江戸時代から東京の街は再開発の際は、土地の神様を移転したり一旦よそに移したりしますが、首塚は高層ビル建築時に物が落ちても大丈夫のように屋根がついています。これは古くから霊地である証拠といえます。

境内は一見ひっそりとしたように見えますが、他人が写りこまないように気を使いました。大手町という土地柄お参りするビジネスマン多かったです。

将門鎮魂碑です。ガラスケースに納められていることも今なお聖地であることの証拠です。

境内には所狭しと多数の蛙の置物が奉納されています。将門の首が京都から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけたものですが、左遷になった大手町・丸の内が本社の会社員や霞が関の官僚が無事に本部に戻ってこられるように蛙を供えることがあるそうです。

お参りした後日、千葉ニュータウン勤務の内々示がありました。
一見、都落ちのような異動ですが、このブログでふれたとおり以前の部署はいろいろつらいことが多かったので心機一転が図れるからそうとは思いません。 これも将門様のご加護かもしれません。
まずは皇居の大手門です。大手町の由来なので紹介しました。

将門塚は大手門の近くにあります。

再開発を繰り返す大手町の一角にあります。、画像の上あたりに屋根があることに注目してください。
江戸時代から東京の街は再開発の際は、土地の神様を移転したり一旦よそに移したりしますが、首塚は高層ビル建築時に物が落ちても大丈夫のように屋根がついています。これは古くから霊地である証拠といえます。

境内は一見ひっそりとしたように見えますが、他人が写りこまないように気を使いました。大手町という土地柄お参りするビジネスマン多かったです。

将門鎮魂碑です。ガラスケースに納められていることも今なお聖地であることの証拠です。

境内には所狭しと多数の蛙の置物が奉納されています。将門の首が京都から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけたものですが、左遷になった大手町・丸の内が本社の会社員や霞が関の官僚が無事に本部に戻ってこられるように蛙を供えることがあるそうです。

お参りした後日、千葉ニュータウン勤務の内々示がありました。
一見、都落ちのような異動ですが、このブログでふれたとおり以前の部署はいろいろつらいことが多かったので心機一転が図れるからそうとは思いません。 これも将門様のご加護かもしれません。
柳森神社 千代田区須田町
5月の定時上がりだった日に秋葉原にある柳森神社に寄ってみました。
今回の記事は2013年6月の記事を再編集しています。

秋葉原駅東口を降り、神田川を渡ったところにこの神社はあります。この神社は太田道灌公が建立した古社です。
秋葉原といえばメイドさんですが、この辺りは雑居ビルが立ち並んでいるのでいません。橋を渡りまず注目してほしいのは鯉の鏝絵です。また、この神社には小さいながらも富士塚があります。


この神社の名物は「おたぬきさま」です。
5代将軍の徳川綱吉の母・桂昌院が信仰していた福寿神(狸)の像が祀られる境内社の福寿社に由来します。「たぬき=他に抜きんでる」ということから、たぬきが祀られています。

お稲荷様は妖しさがありますが、おたぬき様は楽しさがあります。拝んで楽しい神社ですね。

社殿です。この神社は対岸の秋葉原のギラギラが嘘のように静かです。先ほどの橋は聖と俗を分けています。

御朱印です。セルフ式で御朱印の初穂料は賽銭箱に納めます。会社帰りの6時頃に頂けました。おそらく日がでているうちは頂けるのかもしれません。次回も千代田区の寺社です。
今回の記事は2013年6月の記事を再編集しています。

秋葉原駅東口を降り、神田川を渡ったところにこの神社はあります。この神社は太田道灌公が建立した古社です。
秋葉原といえばメイドさんですが、この辺りは雑居ビルが立ち並んでいるのでいません。橋を渡りまず注目してほしいのは鯉の鏝絵です。また、この神社には小さいながらも富士塚があります。


この神社の名物は「おたぬきさま」です。
5代将軍の徳川綱吉の母・桂昌院が信仰していた福寿神(狸)の像が祀られる境内社の福寿社に由来します。「たぬき=他に抜きんでる」ということから、たぬきが祀られています。

お稲荷様は妖しさがありますが、おたぬき様は楽しさがあります。拝んで楽しい神社ですね。

社殿です。この神社は対岸の秋葉原のギラギラが嘘のように静かです。先ほどの橋は聖と俗を分けています。

御朱印です。セルフ式で御朱印の初穂料は賽銭箱に納めます。会社帰りの6時頃に頂けました。おそらく日がでているうちは頂けるのかもしれません。次回も千代田区の寺社です。