アンリ・マチス 金魚
8月末ですが、まだまだ猛暑が続きますね、、、、そこで涼し気な作品をと思い、アンリ・マチスの「金魚」を紹介します。

この作品は今から多分2005または2006年に都立美術館で開催されたプーシキン美術館美術館の展覧会に出展されていました。
夏に涼しさを与えてくれる金魚。見ているだけで涼しくなってきます。
金魚鉢がテーブルの上に乗ってるようにも、池の上に金魚鉢が浮いているようにも見える浮遊感、色鮮やかな植物が猛暑でイライラしがちな心を静めてくれる一品です。4匹いるうち一番左の金魚の口をぱくぱくさせている描写が秀逸ですね。右上の2匹は目線があっているので会話をしているようです。写実性を追求しているわけではないのに目の前で金魚が泳いでるように感じる不思議な作品です。
今年の夏は都立美術館でアンリ・マチスの展覧会が開催されていましたが、残念ながら行く機会がなかったです(涙)。涼しさを感じる作品は多くある中でこの作品を選んだのは、行けなくて残念だったから過去に見たことがある作品を今一度じっくり鑑賞したかったからです。本作を含めて4点の金魚を描いた静物画があるそうなので来日してくれることを願っております。

この作品は今から多分2005または2006年に都立美術館で開催されたプーシキン美術館美術館の展覧会に出展されていました。
夏に涼しさを与えてくれる金魚。見ているだけで涼しくなってきます。
金魚鉢がテーブルの上に乗ってるようにも、池の上に金魚鉢が浮いているようにも見える浮遊感、色鮮やかな植物が猛暑でイライラしがちな心を静めてくれる一品です。4匹いるうち一番左の金魚の口をぱくぱくさせている描写が秀逸ですね。右上の2匹は目線があっているので会話をしているようです。写実性を追求しているわけではないのに目の前で金魚が泳いでるように感じる不思議な作品です。
今年の夏は都立美術館でアンリ・マチスの展覧会が開催されていましたが、残念ながら行く機会がなかったです(涙)。涼しさを感じる作品は多くある中でこの作品を選んだのは、行けなくて残念だったから過去に見たことがある作品を今一度じっくり鑑賞したかったからです。本作を含めて4点の金魚を描いた静物画があるそうなので来日してくれることを願っております。
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テート美術館展 ターナーの作品
国立新美術館で開催中の「テート美術館展 光 —ターナー、印象派から現代へ」の話の続きです。
今回はターナーの作品を4点紹介します。

「陽光の中に立つ天使」

「湖に沈む夕日」

「陰と闇-大洪水の夕べ」

「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」
これらの4作品はテート美術館で見た覚えがあります。だから先日紹介した2作品以上に再会に感激しました。
4作品を見て感じたのは光が渦巻いてることです。「陽光の中に立つ天使」は後光、「湖に沈む夕日」は空気の流れ、「陰と闇-大洪水の夕べ」と「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」には宇宙の中心を感じますが、共通して光が渦巻きながら一点に向かっているように見えます。
まるで渦を巻く銀河のようです。ターナーがいた時代に渦巻銀河の存在が知られていたかは分かりません。印象派の画家は粒子であり波である光の性質を直感的に描いたと別の記事で私見をのべましたが、ターナーは宇宙の姿を直感的に描いたのかもしれません。
今回はターナーの作品を4点紹介します。

「陽光の中に立つ天使」

「湖に沈む夕日」

「陰と闇-大洪水の夕べ」

「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」
これらの4作品はテート美術館で見た覚えがあります。だから先日紹介した2作品以上に再会に感激しました。
4作品を見て感じたのは光が渦巻いてることです。「陽光の中に立つ天使」は後光、「湖に沈む夕日」は空気の流れ、「陰と闇-大洪水の夕べ」と「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」には宇宙の中心を感じますが、共通して光が渦巻きながら一点に向かっているように見えます。
まるで渦を巻く銀河のようです。ターナーがいた時代に渦巻銀河の存在が知られていたかは分かりません。印象派の画家は粒子であり波である光の性質を直感的に描いたと別の記事で私見をのべましたが、ターナーは宇宙の姿を直感的に描いたのかもしれません。
テート美術館展 露に濡れたハリエニシダ 愛と巡礼者
7月29日に国立新美術館で開催中の「テート美術館展 光 —ターナー、印象派から現代へ」に行きました。
しばらくの間はこの展覧会で見た作品が続きます。まずは再会が嬉しかった2作品です。
「露に濡れたハリエニシダ」は2008年にBunkamuraザ・ミュージアムで、「愛と巡礼者」は多分2014年に六本木ヒルズで見たことがあります。いずれも「オフィーリア」と一緒に来日しています。


上段はジョン・エヴァレット・ミレイの「露に濡れたハリエニシダ」、下段がエドワード・バン・ジョーンズの「愛と巡礼者」です。
「露に濡れたハリエニシダ」についてです。
植物は声を出しません。しかし育てている方はご理解いただけると思いますが、意思?のようなものを感じることがあります。最近の研究では植物は互いにコミュニケーションを取り合っていることが判明したそうです。ジョン・エヴァレット・ミレイが「木の霊が放つ力強い声」に着想を得たそうですが、この作品からは植物同士の会話が聴こえそうです。
「愛と巡礼者」についてです。
愛の矢を手にした愛の神が、巡礼者の手をつかんでいばらの茂みから助け出す場面です。「闇から光の中へ」の比喩が巧みな作品です。この作品の本質から外れる感想かもしれませんが「天は自ら助くる者を助く」という言葉を連想します。この作品は連作ですが、残り2作品を見てみたいものです。次回はターナーです。
しばらくの間はこの展覧会で見た作品が続きます。まずは再会が嬉しかった2作品です。
「露に濡れたハリエニシダ」は2008年にBunkamuraザ・ミュージアムで、「愛と巡礼者」は多分2014年に六本木ヒルズで見たことがあります。いずれも「オフィーリア」と一緒に来日しています。


上段はジョン・エヴァレット・ミレイの「露に濡れたハリエニシダ」、下段がエドワード・バン・ジョーンズの「愛と巡礼者」です。
「露に濡れたハリエニシダ」についてです。
植物は声を出しません。しかし育てている方はご理解いただけると思いますが、意思?のようなものを感じることがあります。最近の研究では植物は互いにコミュニケーションを取り合っていることが判明したそうです。ジョン・エヴァレット・ミレイが「木の霊が放つ力強い声」に着想を得たそうですが、この作品からは植物同士の会話が聴こえそうです。
「愛と巡礼者」についてです。
愛の矢を手にした愛の神が、巡礼者の手をつかんでいばらの茂みから助け出す場面です。「闇から光の中へ」の比喩が巧みな作品です。この作品の本質から外れる感想かもしれませんが「天は自ら助くる者を助く」という言葉を連想します。この作品は連作ですが、残り2作品を見てみたいものです。次回はターナーです。
ジョン・シンガー・サージェント Carnation Lily Lily Rose
夏といえばお盆です。そこで今回紹介する作品はジョン・シンガー・サージェントの「Carnation Lily Lily Rose」 です。

幻想的な美しさにいつも魅了されます。天使のような可愛らしさの少女達は画家の友人の娘さんで、初夏に友人宅を訪れた時の夕暮れ時、彼女達が庭にある提灯に明かりを灯す風景を描いたものです。
画家が実際に見た風景ですが、幻想的に見えるのは夕暮れ時の昼のような夜のような夕暮れの不思議な時間帯だからでしょうか、またはヨーロッパの夏特有の薄明るい夜のせいかもしれません。
咲き誇る花々は山百合とバラで香りも漂ってきそうです。見ているだけで甘い香りに包まれ安らぎます。
安らぎといえば、人は火の明りにも安らぎを感じるそうですが、この絵は提灯の明かりに安らぎを感じます。
同時に、提灯の明かりに浮遊感も感じます。夏休みのお盆時期、祖母の家に行った時の回り灯篭のような浮遊感です。この作品を選んだのはお盆の風景を連想させるので紹介してみました。
ちなみに今年の夏はテート・ブリテンの展覧会が開催されますが、この作品は来日せず、、、残念!!

幻想的な美しさにいつも魅了されます。天使のような可愛らしさの少女達は画家の友人の娘さんで、初夏に友人宅を訪れた時の夕暮れ時、彼女達が庭にある提灯に明かりを灯す風景を描いたものです。
画家が実際に見た風景ですが、幻想的に見えるのは夕暮れ時の昼のような夜のような夕暮れの不思議な時間帯だからでしょうか、またはヨーロッパの夏特有の薄明るい夜のせいかもしれません。
咲き誇る花々は山百合とバラで香りも漂ってきそうです。見ているだけで甘い香りに包まれ安らぎます。
安らぎといえば、人は火の明りにも安らぎを感じるそうですが、この絵は提灯の明かりに安らぎを感じます。
同時に、提灯の明かりに浮遊感も感じます。夏休みのお盆時期、祖母の家に行った時の回り灯篭のような浮遊感です。この作品を選んだのはお盆の風景を連想させるので紹介してみました。
ちなみに今年の夏はテート・ブリテンの展覧会が開催されますが、この作品は来日せず、、、残念!!