赤羽八幡神社 北区赤羽台
8月15日に赤羽八幡神社をお参りしました。

この神社は武蔵野台地の東端の高台にあり、坂上田村麻呂が東征の際に当地に陣を敷き祭神を勧請した古社です。

徳川幕府から7石余の朱印を受領した格式の高い神社です。

この神社の見どころの一つは彫刻です。拝殿は大正12年の関東大震災により被害を受け、昭和6年に改築されました。
この神社がある東京都北区周辺は軍需工場が多く当然空襲の標的になったのですが、奇跡的に戦災を免れているので貴重な拝殿と言えます。

拝殿左側にある応神天皇をあやす武内宿禰と神功皇后の彫刻です。

拝殿右側にある三韓征伐の彫刻です。

木鼻は赤い瞳が印象的。モビルスーツに見えるのは私だけ?

この神社は境内から新幹線がよく見えることで有名のせいか、駅名標がありました。

境内東側の崖の下はJR東北本線です。

西側は新幹線と埼京線のトンネルです。
なんとこの神社の真下は新幹線の線路です。新幹線が真下を走る神社は日本唯一らしいです。
今回この神社をお参りした動機は鉄分補給です。鉄道好きで寺社巡りが好きな方々にはお勧めです。
また上京して東京の寺社巡りをしたい方々にもお勧めします。JR東日本の新幹線が真下をとおる珍しさはもちろんのこと、この神社は東京の地形の妙を楽しめるからです。

この神社は武蔵野台地の東端の高台にあり、坂上田村麻呂が東征の際に当地に陣を敷き祭神を勧請した古社です。

徳川幕府から7石余の朱印を受領した格式の高い神社です。

この神社の見どころの一つは彫刻です。拝殿は大正12年の関東大震災により被害を受け、昭和6年に改築されました。
この神社がある東京都北区周辺は軍需工場が多く当然空襲の標的になったのですが、奇跡的に戦災を免れているので貴重な拝殿と言えます。

拝殿左側にある応神天皇をあやす武内宿禰と神功皇后の彫刻です。

拝殿右側にある三韓征伐の彫刻です。

木鼻は赤い瞳が印象的。モビルスーツに見えるのは私だけ?

この神社は境内から新幹線がよく見えることで有名のせいか、駅名標がありました。

境内東側の崖の下はJR東北本線です。

西側は新幹線と埼京線のトンネルです。
なんとこの神社の真下は新幹線の線路です。新幹線が真下を走る神社は日本唯一らしいです。
今回この神社をお参りした動機は鉄分補給です。鉄道好きで寺社巡りが好きな方々にはお勧めです。
また上京して東京の寺社巡りをしたい方々にもお勧めします。JR東日本の新幹線が真下をとおる珍しさはもちろんのこと、この神社は東京の地形の妙を楽しめるからです。
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船方神社 北区堀船
今回紹介する船方神社は前回紹介した白山神社から自転車で5分の場所にあります。

725年に創建したと伝えられる古社です。この地を本拠にしていた豊島氏ゆかりの神社です。江戸時代は鬱蒼とした森の中にあって十二天の森・十二天社とよばれました。

水神社です。神社の裏手は墨田川です。かつては水運の拠点だったことが偲ばれます。

この神社の見どころである十二天塚です。
この地の領主であった豊島氏が、熊野権現に祈願して授かった一人の姫が、嫁ぎ先でDVを受けて荒川に身を投げてしたそうです。その際、姫に仕えていた十二人の侍女たちも 殉じました。十二天とは、この十二人の侍女のことという伝承があります。

前回紹介した白山神社同様、この神社でも神仏習合の名残をとどめる「ぼんぜん」という裸祭りがあったそうです。

境内にあるレンガ造りの神輿蔵と神楽殿です。この地域はレンガ工場が多く立ち並んでいたそうです。この神社の隣にあるあらかわ遊園はレンガ工場の跡地に造られたものです。

参道から見えるあらかわ遊園の観覧車です。前回に引き続き境内から見えるものが特徴的な神社でした。

北区の有名な神社として王子神社、王子稲荷神社、境内から新幹線が見えることで有名な赤羽八幡神社が挙げられますが。今回紹介した2社はかつての東京の姿を偲ぶにはうってつけです。

725年に創建したと伝えられる古社です。この地を本拠にしていた豊島氏ゆかりの神社です。江戸時代は鬱蒼とした森の中にあって十二天の森・十二天社とよばれました。

水神社です。神社の裏手は墨田川です。かつては水運の拠点だったことが偲ばれます。

この神社の見どころである十二天塚です。
この地の領主であった豊島氏が、熊野権現に祈願して授かった一人の姫が、嫁ぎ先でDVを受けて荒川に身を投げてしたそうです。その際、姫に仕えていた十二人の侍女たちも 殉じました。十二天とは、この十二人の侍女のことという伝承があります。

前回紹介した白山神社同様、この神社でも神仏習合の名残をとどめる「ぼんぜん」という裸祭りがあったそうです。

境内にあるレンガ造りの神輿蔵と神楽殿です。この地域はレンガ工場が多く立ち並んでいたそうです。この神社の隣にあるあらかわ遊園はレンガ工場の跡地に造られたものです。

参道から見えるあらかわ遊園の観覧車です。前回に引き続き境内から見えるものが特徴的な神社でした。

北区の有名な神社として王子神社、王子稲荷神社、境内から新幹線が見えることで有名な赤羽八幡神社が挙げられますが。今回紹介した2社はかつての東京の姿を偲ぶにはうってつけです。
堀船白山神社と福性寺 北区堀船
新年あけましておめでとうございます。このブログもおかげさまを持ちまして12周年。干支を一巡しました。これからもよろしくお願いいたします。
さて、12月11日に北区の墨田川左岸付近にある寺社をお参りしました。今回紹介する寺社は堀船白山神社と福性寺です。

創建時期は不明ですが、源義家が後三年の役で出陣する際に戦勝祈願のため創建した伝承があります。

裏手は墨田川です。墨田川の板橋区から北区にかけての流域は大きく蛇行し荒川と並行する等、ダイナミックな川筋です。

裏手が墨田川、隣は読売新聞の広大な工場のため付近にはタワマンがないので空の広さを楽しめる境内です。

注連縄は龍のように生き生きとしてます。神職は常駐していない神社ですが大切に祀られていることが分かります。
なお明治時代初期まで、神仏習合の名残をとどめる「ぼんぜん」という裸祭りがあったそうです。江戸が舞台の小説・劇で裸祭りの件は見たことがありません。23区は御府内と御府内ではない地域では風習も異なっていたようです。

福性寺はかつて白山神社の別当寺でした。こちらは昭和39年に完成した八角堂です。あおい瓦屋根が美しいです。

境内の裏手は墨田川ですが、対岸にある工場の設備が見えます。工場の機能美と伽藍の美しさが調和した他では見ることができない風景です。次回はこの神社から自転車で5分の場所にある船方神社です。
近隣の寺社の記事もどうぞ!西福寺 若宮神社
さて、12月11日に北区の墨田川左岸付近にある寺社をお参りしました。今回紹介する寺社は堀船白山神社と福性寺です。

創建時期は不明ですが、源義家が後三年の役で出陣する際に戦勝祈願のため創建した伝承があります。

裏手は墨田川です。墨田川の板橋区から北区にかけての流域は大きく蛇行し荒川と並行する等、ダイナミックな川筋です。

裏手が墨田川、隣は読売新聞の広大な工場のため付近にはタワマンがないので空の広さを楽しめる境内です。

注連縄は龍のように生き生きとしてます。神職は常駐していない神社ですが大切に祀られていることが分かります。
なお明治時代初期まで、神仏習合の名残をとどめる「ぼんぜん」という裸祭りがあったそうです。江戸が舞台の小説・劇で裸祭りの件は見たことがありません。23区は御府内と御府内ではない地域では風習も異なっていたようです。

福性寺はかつて白山神社の別当寺でした。こちらは昭和39年に完成した八角堂です。あおい瓦屋根が美しいです。

境内の裏手は墨田川ですが、対岸にある工場の設備が見えます。工場の機能美と伽藍の美しさが調和した他では見ることができない風景です。次回はこの神社から自転車で5分の場所にある船方神社です。
近隣の寺社の記事もどうぞ!西福寺 若宮神社
上田端八幡神社と大龍寺
上田端八幡神社は田端日枝神社の近くにあります。


同じく北区田端にある田端八幡神社同様、鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後、その記念に鎌倉鶴ケ岡八幡宮を当地に勧請したそうです。

隣に見える伽藍は大龍寺です。鳥居と伽藍の組み合わせはかっこよく感じます。鳥居越しに見える伽藍は意外と見ることが少ない風景です。


社殿の裏側は境内社が並んでいます。北区と板橋区の神社は都内の他の地域よりも石祠を多い気がします。

正岡子規のお墓があることで有名な大龍寺です。今回の寺社巡りは駅前が絶壁と言っても過言ではない田端駅から崖を下りまた登るという地形好きにはたまらないコースです。その道中にある寺社の記事も合わせてどうぞ!!
与楽寺
田端八幡神社
東覚寺


同じく北区田端にある田端八幡神社同様、鎌倉幕府が奥州藤原氏を滅ぼした後、その記念に鎌倉鶴ケ岡八幡宮を当地に勧請したそうです。

隣に見える伽藍は大龍寺です。鳥居と伽藍の組み合わせはかっこよく感じます。鳥居越しに見える伽藍は意外と見ることが少ない風景です。


社殿の裏側は境内社が並んでいます。北区と板橋区の神社は都内の他の地域よりも石祠を多い気がします。

正岡子規のお墓があることで有名な大龍寺です。今回の寺社巡りは駅前が絶壁と言っても過言ではない田端駅から崖を下りまた登るという地形好きにはたまらないコースです。その道中にある寺社の記事も合わせてどうぞ!!
与楽寺
田端八幡神社
東覚寺