蟠龍寺 目黒区下目黒
目黒大鳥神社の次に蟠龍寺をお参りしました。

こちらは大鳥神社の隣にある大聖院にある切支丹燈籠です。
中央のもっとも高い1基の棹石には変形T字クルスとキリスト像とおもわれる形状が、また左右面に、漢詩が刻まれています。
この燈籠は徳川幕府の弾圧を受けた隠れ切支丹が庭園の祠等に礼拝物として密かに置いたものだと言われています。隠れキリシタンは長崎県内にしかいないと思っていましたが、案外江戸にもいたようです。

慶安元年に開創した称明院を、増上寺の霊雲上人が宝永6年に院蟠龍寺として改名再建したとのことです。

境内は緑豊かな庭園のようでした。雨がちだったのでしっとりとした風情がありました。


このお寺は江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石造弁財天が安置されています。


弁財天は音楽神・学芸の女神ですが、同時に戦いの女神でもあります。江戸裏鬼門の鎮守にふさわしいですね。
さて、このお寺近辺は名刹も多いです。このブログでは大円寺と瀧泉寺 (目黒不動尊)も紹介しています。

こちらは大鳥神社の隣にある大聖院にある切支丹燈籠です。
中央のもっとも高い1基の棹石には変形T字クルスとキリスト像とおもわれる形状が、また左右面に、漢詩が刻まれています。
この燈籠は徳川幕府の弾圧を受けた隠れ切支丹が庭園の祠等に礼拝物として密かに置いたものだと言われています。隠れキリシタンは長崎県内にしかいないと思っていましたが、案外江戸にもいたようです。

慶安元年に開創した称明院を、増上寺の霊雲上人が宝永6年に院蟠龍寺として改名再建したとのことです。

境内は緑豊かな庭園のようでした。雨がちだったのでしっとりとした風情がありました。


このお寺は江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石造弁財天が安置されています。


弁財天は音楽神・学芸の女神ですが、同時に戦いの女神でもあります。江戸裏鬼門の鎮守にふさわしいですね。
さて、このお寺近辺は名刹も多いです。このブログでは大円寺と瀧泉寺 (目黒不動尊)も紹介しています。
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目黒大鳥神社 目黒区下目黒
6月3日に目黒区美術館に行った後、目黒区最古の神社(806年に建立)である大鳥神社をお参りしました。

日本武尊が東征した際に建立されたそうです。

御神木です。かつて東京都の天然記念物に指定された「オオアカガシ」の老木が生えていましたが、今では記念碑があるのみです。
一番下の画像がその記念碑です。

この神社の特徴は境内の至る所にある鳳凰の神紋です。龍の彫刻はよく見かけますが鳳凰の彫刻を随所に施している神社は初めてです。


龍の彫刻からは直線的に「気」が伝わってくる気分がしますが、鳳凰は羽ばたいているお姿のせいか包み込むような「気」を感じます。

切支丹灯篭です。かつてこの地にあった肥前島原藩主松平主殿守の下屋敷に祀られ、密かに信仰されていたものと伝えられています。竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の切支丹灯籠とのことです。信仰への強い思いにありがたみを感じます。次回は近隣にあるお寺を紹介します。

日本武尊が東征した際に建立されたそうです。

御神木です。かつて東京都の天然記念物に指定された「オオアカガシ」の老木が生えていましたが、今では記念碑があるのみです。
一番下の画像がその記念碑です。

この神社の特徴は境内の至る所にある鳳凰の神紋です。龍の彫刻はよく見かけますが鳳凰の彫刻を随所に施している神社は初めてです。


龍の彫刻からは直線的に「気」が伝わってくる気分がしますが、鳳凰は羽ばたいているお姿のせいか包み込むような「気」を感じます。

切支丹灯篭です。かつてこの地にあった肥前島原藩主松平主殿守の下屋敷に祀られ、密かに信仰されていたものと伝えられています。竿石の下部に刻まれた像には足の表現がなく、イエス像を仏像形式に偽装した珍しい型の切支丹灯籠とのことです。信仰への強い思いにありがたみを感じます。次回は近隣にあるお寺を紹介します。
大円寺と誕生八幡神社
9月24日に太田記念美術館に行った後、大円寺と誕生稲荷神社をお参りしました。
なお、この記事は2012年7月の記事に画像を追加して再編集したものです。

大円寺は行人坂の中腹にあります。この坂は都内でも有数な険しい坂として知られています。
ちなみにこのお堂は目黒川架橋供養のために建立された勢至菩薩を祀っています。

大円寺は、秘仏で国の重要文化財である清涼寺式釈迦如来像が有名です。このほか、本堂とその右にある阿弥陀堂にある十一面観音様と阿弥陀如来様は窓越しにご尊顔を拝することができます。

5年前にお参りしたときはなかった(と思われる)薬師如来様です。金箔を貼ることのできる仏像は私が知る限りではこのお寺だけです。

このお寺は五百羅漢様で有名です。五百羅漢が並ぶ様は圧巻です。京都のあだしの念仏寺に匹敵します。

このお寺は1772年(明和9年)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺です。目黒区から足立区千住まで燃えたというので、その被害は想像を絶します。この大火の犠牲者の鎮魂のために彫られたのがこの五百羅漢様です。

五百羅漢様はユーモラスな感じが多いのですが、こちらの五百羅漢様はどこかもの哀しいです。

御朱印です。このお寺は江戸三大大黒天の一つとして知られています。

目黒駅を挟んで目黒区側が大円寺ですが、品川区側にあるのが誕生八幡神社です。太田道灌が夫人の懐妊にあたり宇美八幡を当地に勧請したものといわれております。
このブログで紹介する寺社は台東区・文京区に偏ってますが(この区は寺社も多い)、品川区・目黒区は少ないです。
しかし、この区には由緒ある寺社が多いので積極的に訪れたい地域です。
なお、この記事は2012年7月の記事に画像を追加して再編集したものです。

大円寺は行人坂の中腹にあります。この坂は都内でも有数な険しい坂として知られています。
ちなみにこのお堂は目黒川架橋供養のために建立された勢至菩薩を祀っています。

大円寺は、秘仏で国の重要文化財である清涼寺式釈迦如来像が有名です。このほか、本堂とその右にある阿弥陀堂にある十一面観音様と阿弥陀如来様は窓越しにご尊顔を拝することができます。

5年前にお参りしたときはなかった(と思われる)薬師如来様です。金箔を貼ることのできる仏像は私が知る限りではこのお寺だけです。

このお寺は五百羅漢様で有名です。五百羅漢が並ぶ様は圧巻です。京都のあだしの念仏寺に匹敵します。

このお寺は1772年(明和9年)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺です。目黒区から足立区千住まで燃えたというので、その被害は想像を絶します。この大火の犠牲者の鎮魂のために彫られたのがこの五百羅漢様です。

五百羅漢様はユーモラスな感じが多いのですが、こちらの五百羅漢様はどこかもの哀しいです。

御朱印です。このお寺は江戸三大大黒天の一つとして知られています。

目黒駅を挟んで目黒区側が大円寺ですが、品川区側にあるのが誕生八幡神社です。太田道灌が夫人の懐妊にあたり宇美八幡を当地に勧請したものといわれております。
このブログで紹介する寺社は台東区・文京区に偏ってますが(この区は寺社も多い)、品川区・目黒区は少ないです。
しかし、この区には由緒ある寺社が多いので積極的に訪れたい地域です。
祐天寺 目黒区中目黒
6月10日に郷さくら美術館の後に、祐天寺をお参りしました。

仁王門です。徳川吉宗の時代に建てられたものです。

地蔵堂です。国の登録有形文化財です。延命と火消しのご利益を授ける地蔵菩薩とのことです。

阿弥陀堂です。こちらも国の登録有形文化財です。仁王門、地蔵堂、阿弥陀堂も質実剛健な美しさがあります。

阿弥陀堂の龍の彫刻です。本尊阿弥陀如来はガラス越しに拝観できます。

境内は広々としてます。高台にあり周りにはマンションやビルがないので青空の広さを感じることができる境内です。

本堂です。
このお寺は江戸時代の高僧である祐天上人を開山と仰ぐお寺です。

江戸の町火消は祐天上人が考案し、徳川吉宗が実現したので、賽銭箱に描かれている文様は、江戸の町火消の纏です。

御朱印です。独特の字体で知られていますが、この字体は貫主のみが書くことができるため、これはスタンプです。手書きの場合は字体が一般的?なものになります。

数か月前、精神的にきつかったころ、中目黒にあるカウンセリングルームに通い、なんとかメンタルダウンを避けることができました。今回このお寺をお参りしたのは、珍しい御朱印をコレクションしたかったことに加え、この地で一番高名な寺社にお礼参りしたかったからです。

仁王門です。徳川吉宗の時代に建てられたものです。

地蔵堂です。国の登録有形文化財です。延命と火消しのご利益を授ける地蔵菩薩とのことです。

阿弥陀堂です。こちらも国の登録有形文化財です。仁王門、地蔵堂、阿弥陀堂も質実剛健な美しさがあります。

阿弥陀堂の龍の彫刻です。本尊阿弥陀如来はガラス越しに拝観できます。

境内は広々としてます。高台にあり周りにはマンションやビルがないので青空の広さを感じることができる境内です。

本堂です。
このお寺は江戸時代の高僧である祐天上人を開山と仰ぐお寺です。

江戸の町火消は祐天上人が考案し、徳川吉宗が実現したので、賽銭箱に描かれている文様は、江戸の町火消の纏です。

御朱印です。独特の字体で知られていますが、この字体は貫主のみが書くことができるため、これはスタンプです。手書きの場合は字体が一般的?なものになります。

数か月前、精神的にきつかったころ、中目黒にあるカウンセリングルームに通い、なんとかメンタルダウンを避けることができました。今回このお寺をお参りしたのは、珍しい御朱印をコレクションしたかったことに加え、この地で一番高名な寺社にお礼参りしたかったからです。