ムンディ・アニムス大塚の遺構と周辺の神社
このブログでは豊島区内にある梵寿綱の作品を3棟紹介しています。かつて南大塚に「ムンディ・アニムス大塚」という作品がありました。最近遺構があると聞き行ってみました。

こちらがその遺構です。今では平均的なワンルームマンションですが、縁石?または車止め?だけは残っていました。
ネットで「ムンディ・アニムス大塚」の画像を見ることはできますが、確かにエントランス正面のこの構造物はあります。
続いて遺構周辺の神社を紹介します。ムンディ・アニムス大塚の遺構は山手線の内側にありますが、その外側に鎮座しているのが子安天満宮です。
JR巣鴨駅と大塚駅の真ん中あたりにあります。山手線の線路沿いにあり、1532年頃巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として勧請したといいます。

緑豊かな社ですが、参道は意外と長いです。近年、起伏に富んだ東京の地形を楽しむことがポピュラーになりました。この神社をお参りする際は、大塚駅から線路沿いに目指すことをお勧めします。大塚駅は高架だけど、巣鴨駅は谷底というダイナミックな起伏を味わえます。

道案内がしづらいのですが、子安天満宮からみて都電庚申塚駅方向にあるのが「勧請稲荷」です。
このブログでは路地裏のお稲荷様を数社紹介していますが、表札のあるお稲荷様は初めてです。

路地の裏には意外立派なお稲荷様があり、代々大切に祀られてきたことが分かりますが、由緒等は不明です。
遺構からのこの2つの神社巡りは隠れ家を見つけたような、なにやら貴重な遺跡を発見したような気分になるので大塚からすがも界隈を街歩きする方々にお勧めしたいです。

こちらがその遺構です。今では平均的なワンルームマンションですが、縁石?または車止め?だけは残っていました。
ネットで「ムンディ・アニムス大塚」の画像を見ることはできますが、確かにエントランス正面のこの構造物はあります。
続いて遺構周辺の神社を紹介します。ムンディ・アニムス大塚の遺構は山手線の内側にありますが、その外側に鎮座しているのが子安天満宮です。
JR巣鴨駅と大塚駅の真ん中あたりにあります。山手線の線路沿いにあり、1532年頃巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として勧請したといいます。

緑豊かな社ですが、参道は意外と長いです。近年、起伏に富んだ東京の地形を楽しむことがポピュラーになりました。この神社をお参りする際は、大塚駅から線路沿いに目指すことをお勧めします。大塚駅は高架だけど、巣鴨駅は谷底というダイナミックな起伏を味わえます。

道案内がしづらいのですが、子安天満宮からみて都電庚申塚駅方向にあるのが「勧請稲荷」です。
このブログでは路地裏のお稲荷様を数社紹介していますが、表札のあるお稲荷様は初めてです。

路地の裏には意外立派なお稲荷様があり、代々大切に祀られてきたことが分かりますが、由緒等は不明です。
遺構からのこの2つの神社巡りは隠れ家を見つけたような、なにやら貴重な遺跡を発見したような気分になるので大塚からすがも界隈を街歩きする方々にお勧めしたいです。
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妙義神社 豊島区駒込
4月の仕事が定時に終わったある日に駒込にある妙義神社をお参りしました。この神社は最近改修されました。この記事では改修前と改修後の神社を紹介します。まずは改修前です。(2015年の記事を再編集)

駒込駅周辺は起伏に富んでいます。この神社も坂を下って窪地みたいな場所を通ってまた上るという道筋です。

太田道灌が戦勝祈願をした神社としても有名です。東京の郷土の武将といえば江戸城を最初に建てた太田道灌。その太田道灌が滅ぼした豊島氏の拠点はこの神社から比較的近い平塚神社です。敵の目前で戦勝祈願とはなかなか大胆です。

起伏が多く路地裏には古いアパートが点在しています。この風景は既視感があります。このことを言うと、母親のおばがこの近辺に住んでいて幼いころ何回か訪れたことがあったとのことでした。
さて、次に改修後です。

改修により開放感がある境内になりました。

こどもの日が近かったせいか、龍神様は兜を被っていました。

太田道灌が戦に敗れたとき、目の前に現れた黒猫に導かれ難を逃れることができた故事にちなんだ猫の石像です。


新しい社殿です。古い社殿は風情がありますが新しい社殿は天に昇る龍のような勢いも感じるのでこれもまたいいですね。
さて、この地は日本武尊が東征した際に設営した場所です。駒込をいう地名は日本武尊が「駒、込みたり(馬が多い)」といったことが由来です。
この神社の近所には弥生時代の集落後が発掘されたそうです。また、歩いて15分の場所にある駒込富士神社の富士塚は古墳です。古くから重要な場所だったようです。太古より途切れることなくこの地を護ってきたことを感じるとてもありがたい神社です。

駒込駅周辺は起伏に富んでいます。この神社も坂を下って窪地みたいな場所を通ってまた上るという道筋です。

太田道灌が戦勝祈願をした神社としても有名です。東京の郷土の武将といえば江戸城を最初に建てた太田道灌。その太田道灌が滅ぼした豊島氏の拠点はこの神社から比較的近い平塚神社です。敵の目前で戦勝祈願とはなかなか大胆です。

起伏が多く路地裏には古いアパートが点在しています。この風景は既視感があります。このことを言うと、母親のおばがこの近辺に住んでいて幼いころ何回か訪れたことがあったとのことでした。
さて、次に改修後です。

改修により開放感がある境内になりました。

こどもの日が近かったせいか、龍神様は兜を被っていました。

太田道灌が戦に敗れたとき、目の前に現れた黒猫に導かれ難を逃れることができた故事にちなんだ猫の石像です。


新しい社殿です。古い社殿は風情がありますが新しい社殿は天に昇る龍のような勢いも感じるのでこれもまたいいですね。
さて、この地は日本武尊が東征した際に設営した場所です。駒込をいう地名は日本武尊が「駒、込みたり(馬が多い)」といったことが由来です。
この神社の近所には弥生時代の集落後が発掘されたそうです。また、歩いて15分の場所にある駒込富士神社の富士塚は古墳です。古くから重要な場所だったようです。太古より途切れることなくこの地を護ってきたことを感じるとてもありがたい神社です。
真性寺と子安稲荷神社の桜
豊島区の有名な寺社といえば雑司ヶ谷鬼子母神と巣鴨のお地蔵様こと高岩寺ですが、江戸6地蔵の一つであり、高岩寺よりも古い、巣鴨通り商店街入り口にある真性寺を忘れてはいけません。2月末のある日境内の啓翁桜が満開だったので会社帰りによりました。今回の記事は2012年2月の記事を再編集したものです。

真性寺のお地蔵様は宝永から享保年間にかけて江戸市中の六箇所に造立されたもので、銅造地蔵菩薩坐像(江戸6地蔵)の一つです。
江戸6地蔵は各街道の入り口に造立され、真性寺は中山道の入り口にあたり、高さ約2メートルのお地蔵さまが今なお行き交う人々を見守っています。

御朱印はお地蔵様と御本尊の2種類があります。


こちらが啓翁桜です。山形県で栽培が盛んな冬に咲く桜です。冬の終わりを感じます。


上二つは上池袋にある子安稲荷神社の河津桜です。近年あちこちの寺社に植樹されてるらしくTwitterでよく画像を見ます。こちらは一足早い春を感じます。

こちらは子安稲荷神社の隣に新築されたマンションの入口にあるお稲荷様です。マンション建設前は無かったのでおそらく敷地内にあった屋敷神が通りに面した場所に移されたようです。都市開発で消える神社もあれば再生する神社もあります。再生された神社は古刹とは違ったありがたさを感じます。

真性寺のお地蔵様は宝永から享保年間にかけて江戸市中の六箇所に造立されたもので、銅造地蔵菩薩坐像(江戸6地蔵)の一つです。
江戸6地蔵は各街道の入り口に造立され、真性寺は中山道の入り口にあたり、高さ約2メートルのお地蔵さまが今なお行き交う人々を見守っています。


御朱印はお地蔵様と御本尊の2種類があります。


こちらが啓翁桜です。山形県で栽培が盛んな冬に咲く桜です。冬の終わりを感じます。


上二つは上池袋にある子安稲荷神社の河津桜です。近年あちこちの寺社に植樹されてるらしくTwitterでよく画像を見ます。こちらは一足早い春を感じます。

こちらは子安稲荷神社の隣に新築されたマンションの入口にあるお稲荷様です。マンション建設前は無かったのでおそらく敷地内にあった屋敷神が通りに面した場所に移されたようです。都市開発で消える神社もあれば再生する神社もあります。再生された神社は古刹とは違ったありがたさを感じます。
三社神社と千川榛名神社
年末年始に豊島区の練馬区寄りの地域にある神社をお参りしました。
まずは三社神社です。先日紹介した梵寿綱の「PETTI ETANG」をに行った際にお参りしました。

池袋御嶽神社(「おんたけ」ではなく「みたけ」)の近くにありますが、路地裏の道案内しずらい場所にあります。

由緒は不明です。周辺は今でこそ閑静な住宅街ですがかつては三業地だったので料亭の屋敷神が残ってるのでしょうか?

千川榛名神社です。江戸時代に榛名神社の分霊を勧請したといいます。

正月にお参りしました。新築のようにきれいな社殿と境内です。神社を形容するのに相応しい言葉ではないかもしれませんが、愛らしい神社でした。
さて、この神社周辺には「富士浅間神社」、「御嶽神社」、まだお参りはしたことないですが「羽黒神社」があります。豊島区の練馬区寄りのに暮らしていた人々は山好きだったのでしょうか?霊山にちなむ神社が多いことは非常に興味深いです。
近隣の神社の記事もどうぞ!
富士浅間神社
池袋御嶽神社
まずは三社神社です。先日紹介した梵寿綱の「PETTI ETANG」をに行った際にお参りしました。

池袋御嶽神社(「おんたけ」ではなく「みたけ」)の近くにありますが、路地裏の道案内しずらい場所にあります。

由緒は不明です。周辺は今でこそ閑静な住宅街ですがかつては三業地だったので料亭の屋敷神が残ってるのでしょうか?

千川榛名神社です。江戸時代に榛名神社の分霊を勧請したといいます。

正月にお参りしました。新築のようにきれいな社殿と境内です。神社を形容するのに相応しい言葉ではないかもしれませんが、愛らしい神社でした。
さて、この神社周辺には「富士浅間神社」、「御嶽神社」、まだお参りはしたことないですが「羽黒神社」があります。豊島区の練馬区寄りのに暮らしていた人々は山好きだったのでしょうか?霊山にちなむ神社が多いことは非常に興味深いです。
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富士浅間神社
池袋御嶽神社