続 本所深川稲荷めぐり11 森下駅から両国駅間のお稲荷様
本所深川稲荷めぐりの続編を2回連続して紹介します。
まずは墨田区の都営新宿線森下駅からJRの両国駅まで間にあるお稲荷様を3社紹介します。
先ずは飯澄稲荷です。いつ頃創建されたかは不明ですが、葛飾北斎の養父である中島伊勢の住居跡だそうです。この後紹介する榛稲荷と関連があります。

飯澄稲荷から見て道路を渡った場所にある松坂稲荷です。
吉良上野介の屋敷跡にある、江戸の風情を色濃く残す本所界隈ならではのお稲荷様です。なお、この神社周辺は相撲部屋も多いです。

松坂稲荷から両国駅方面に向かった場所にある榛稲荷です。江戸時代に榛馬場と呼ばれた武術練習場があり、その傍に祀られていたので榛稲荷神社と呼ばれていたといいます。

当地周辺に葛飾北斎や勝海舟など多くの著名人が居を構えていました。
撮影時刻は18時過ぎ。空の色が紫から群青に移る時間帯は安らぎも感じますが、妖しさも感じます。昼のような夜のような時間帯の神社は、神社が本来持つ神々し妖しさを感じるので好きです。
さて、特定地域のお稲荷様を重点的に紹介できるのは、「東京お稲荷様MAP」という屋敷神までグーグルマップに表示するとても便利なサイトのおかげです。
本所深川界隈は江戸の面影を色濃く残す地域の一つですが、再開発でMAPには表示されているけど、かつてお稲荷様があったと思われる空地がぽつんとあるだけのこともあります。
一方で本所界隈は亀戸天神、深川界隈は富岡八幡に、一時的に仮住まいするお稲荷様もいらっしゃります。再開発で発展するのは、繁栄を神であるお稲荷様の加護かもしれません。
次回は続 本所深川稲荷めぐりの最終編です。

初音森神社
本所深川稲荷巡りの10 両国界隈
まずは墨田区の都営新宿線森下駅からJRの両国駅まで間にあるお稲荷様を3社紹介します。
先ずは飯澄稲荷です。いつ頃創建されたかは不明ですが、葛飾北斎の養父である中島伊勢の住居跡だそうです。この後紹介する榛稲荷と関連があります。

飯澄稲荷から見て道路を渡った場所にある松坂稲荷です。
吉良上野介の屋敷跡にある、江戸の風情を色濃く残す本所界隈ならではのお稲荷様です。なお、この神社周辺は相撲部屋も多いです。

松坂稲荷から両国駅方面に向かった場所にある榛稲荷です。江戸時代に榛馬場と呼ばれた武術練習場があり、その傍に祀られていたので榛稲荷神社と呼ばれていたといいます。

当地周辺に葛飾北斎や勝海舟など多くの著名人が居を構えていました。
撮影時刻は18時過ぎ。空の色が紫から群青に移る時間帯は安らぎも感じますが、妖しさも感じます。昼のような夜のような時間帯の神社は、神社が本来持つ神々し妖しさを感じるので好きです。
さて、特定地域のお稲荷様を重点的に紹介できるのは、「東京お稲荷様MAP」という屋敷神までグーグルマップに表示するとても便利なサイトのおかげです。
本所深川界隈は江戸の面影を色濃く残す地域の一つですが、再開発でMAPには表示されているけど、かつてお稲荷様があったと思われる空地がぽつんとあるだけのこともあります。
一方で本所界隈は亀戸天神、深川界隈は富岡八幡に、一時的に仮住まいするお稲荷様もいらっしゃります。再開発で発展するのは、繁栄を神であるお稲荷様の加護かもしれません。
次回は続 本所深川稲荷めぐりの最終編です。

初音森神社
本所深川稲荷巡りの10 両国界隈
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初音森神社 墨田区千歳
昨年は「本所深川稲荷巡り」というシリーズの寺社ネタをやりました。今年は日本橋寺社巡りというシリーズをやろうと思ってます。
日本橋は本所深川から見て対岸です。また自宅から職場に行く途中にあること、取引先も多いことから立ち寄りやすい街なのでネタも揃いましたが、まずはそのエピローグとして紹介するのが初音森神社です。

初音森神社は新宿線の森下駅を下車して両国方面にあります。見てのとおり下町の小さな神社ですが、太田道灌が創建した神社です。このブログにちょいちょい登場する豊島一族を破ったのも太田道灌です。
さて、いまどき「初音」といえばボーカロイド。そこで「巡音」、「鏡音」、「咲音」と名のつく神社を検索しましたが、、、、ないようです。(「巡音」etcは初音ミクの仲間達の名字です)

入口に生えている三又の木になぜかひかれました。神社の境内にあるひかれたものに神様がいらっしゃるのでしょうか?
儀式殿は隅田川を挟んで対岸の東日本橋にあります。御朱印はこちらで頂くことができます。

上の画像が東日本橋にある儀式殿です。創建当初、現在の東日本橋は初音の里と呼ばれていましたが、明暦の大火の後の区画整理により墨田区千歳に移転。戦後に儀式殿が元の場所に戻りました。

御祭神は宇迦之御魂神。すなわちお稲荷様なので昨年紹介しようとしたのですが、この神社のカテゴリーは中央区か墨田区か迷いました。
画像はいずれも6月から7月に撮影したものですが、本所深川と日本橋双方にある神社なので、この記事の流れにふさわしいと思い今日の今日までとっときました。

上の画像は墨田区の本殿近くにある弥勒寺の境内です。本所は東京大空襲の被害が特に甚大でした。この観音様は犠牲を弔うために開眼されました。
次回から始まる日本橋寺社巡り、よろしくお願いします。
儀式殿近くにある薬研堀不動院の記事もどうぞ!
日本橋は本所深川から見て対岸です。また自宅から職場に行く途中にあること、取引先も多いことから立ち寄りやすい街なのでネタも揃いましたが、まずはそのエピローグとして紹介するのが初音森神社です。

初音森神社は新宿線の森下駅を下車して両国方面にあります。見てのとおり下町の小さな神社ですが、太田道灌が創建した神社です。このブログにちょいちょい登場する豊島一族を破ったのも太田道灌です。
さて、いまどき「初音」といえばボーカロイド。そこで「巡音」、「鏡音」、「咲音」と名のつく神社を検索しましたが、、、、ないようです。(「巡音」etcは初音ミクの仲間達の名字です)


入口に生えている三又の木になぜかひかれました。神社の境内にあるひかれたものに神様がいらっしゃるのでしょうか?
儀式殿は隅田川を挟んで対岸の東日本橋にあります。御朱印はこちらで頂くことができます。

上の画像が東日本橋にある儀式殿です。創建当初、現在の東日本橋は初音の里と呼ばれていましたが、明暦の大火の後の区画整理により墨田区千歳に移転。戦後に儀式殿が元の場所に戻りました。

御祭神は宇迦之御魂神。すなわちお稲荷様なので昨年紹介しようとしたのですが、この神社のカテゴリーは中央区か墨田区か迷いました。
画像はいずれも6月から7月に撮影したものですが、本所深川と日本橋双方にある神社なので、この記事の流れにふさわしいと思い今日の今日までとっときました。

上の画像は墨田区の本殿近くにある弥勒寺の境内です。本所は東京大空襲の被害が特に甚大でした。この観音様は犠牲を弔うために開眼されました。
次回から始まる日本橋寺社巡り、よろしくお願いします。
儀式殿近くにある薬研堀不動院の記事もどうぞ!
本所深川稲荷巡りの10 両国界隈
今年の夏頃から始めた本所深川稲荷巡り。途中何度か中断しましたが今回が最終です。
本所深川は相撲部屋が多い街です。国技館のある両国界隈は特に多いのでまず紹介するのは野見宿禰神社です。

野見宿禰神社は相撲の神様を祀る神社です。初代高砂親方が明治17年に創建しました。

右側の狛犬様の後ろにあるのは境内社のお稲荷様です。境内には横綱の碑があり相撲協会や関係者の崇敬を集めています

上の画像は野見宿禰神社から本所吾妻橋方面に進んだ場所にある双葉稲荷です。
由緒は不明です。街かどや路地裏にひっそりと祀られているお稲荷様が多く、このようなお稲荷様に会うとなんだか秘密基地を見つけた様な気分でちょっぴり嬉しくなります。

徳ノ山稲荷神社です。本所深川を開発した本所築地奉行徳山五兵衛重政の屋敷跡にあったお稲荷様を祀っています。
ちなみにこのお稲荷様の近くに東京都慰霊堂がありますが、実は御朱印が頂けます。

このお稲荷様は本所界隈ではもっとも古くからあるそうです。撮影した時刻は9月中旬の18時過ぎです。夜は参拝者が近づくとライトが着くようです。このライトがお稲荷様のもつ妖しさを際立たせていい感じです。
さて、本所深川界隈はまだまだお稲荷様がいらっしゃります。これらのお稲荷様は地図帳には載ってなかったりネットにも情報が乏しかったりしますが、出会えたときは宝物を見つけたようなちょっとした感動があります。 御朱印を頂くのもいいですが、見知らぬ神様を探しに行くのも楽しいです。では良い週末を!!
本所深川は相撲部屋が多い街です。国技館のある両国界隈は特に多いのでまず紹介するのは野見宿禰神社です。

野見宿禰神社は相撲の神様を祀る神社です。初代高砂親方が明治17年に創建しました。


右側の狛犬様の後ろにあるのは境内社のお稲荷様です。境内には横綱の碑があり相撲協会や関係者の崇敬を集めています

上の画像は野見宿禰神社から本所吾妻橋方面に進んだ場所にある双葉稲荷です。
由緒は不明です。街かどや路地裏にひっそりと祀られているお稲荷様が多く、このようなお稲荷様に会うとなんだか秘密基地を見つけた様な気分でちょっぴり嬉しくなります。

徳ノ山稲荷神社です。本所深川を開発した本所築地奉行徳山五兵衛重政の屋敷跡にあったお稲荷様を祀っています。
ちなみにこのお稲荷様の近くに東京都慰霊堂がありますが、実は御朱印が頂けます。

このお稲荷様は本所界隈ではもっとも古くからあるそうです。撮影した時刻は9月中旬の18時過ぎです。夜は参拝者が近づくとライトが着くようです。このライトがお稲荷様のもつ妖しさを際立たせていい感じです。
さて、本所深川界隈はまだまだお稲荷様がいらっしゃります。これらのお稲荷様は地図帳には載ってなかったりネットにも情報が乏しかったりしますが、出会えたときは宝物を見つけたようなちょっとした感動があります。 御朱印を頂くのもいいですが、見知らぬ神様を探しに行くのも楽しいです。では良い週末を!!
本所深川稲荷巡り6 錦糸町界隈のお稲荷様
この土日は夏風邪で寝込んでいました。さて、前回の本所深川稲荷巡り5は本所でも堅川周辺のお稲荷様でしたが、今回は錦糸町界隈のお稲荷様です。

まず見ていただく画像はスカイツリーです。本所と呼ばれていた地区は両国からスカイツリーのある押上あたりです。
本所深川地区は道が碁盤の目のようになっていて、土地も平坦であるためこのように路地からスカイツリーの全貌を写すことが可能です。

まず紹介する永倉稲荷は、前回紹介した五柱稲荷から錦糸町に向かって真っすぐ歩いて約5分の場所にあります。
大正時代に近辺で起きた火事の際、稲荷社の跡が発見され祟りを鎮めるために創建されたそうです。

永倉稲荷から見て錦糸町方面に向かうと津軽稲荷があります。
津軽藩の下屋敷の屋敷神だったことが名前の由来です。

このシリーズで紹介してきたお稲荷様の中では一番境内が広く、弁財天を祀る祠もあります。

千種稲荷です。錦糸公園の片隅に鎮座していますが、創建年代は不明とのことです。錦糸公園は旧陸軍兵器廠錦糸堀倉庫の跡地です。この軍事施設を造る際このお稲荷様を移そうとしたところ、事故が多発したのでこの地の残ることとなったそうです。

この強いお力は東京大空襲でも発揮され、この神社近くに避難した住民は無事だったそうです。
「ぶらタモリ」でタモリが地元の寺社を調べると街の歴史が分かるという内容のことをおしゃっていました。今回のシリーズで自分にとっては単なる職場がある場所である本所深川界隈の歴史を知り、愛着がわいてきました。

まず見ていただく画像はスカイツリーです。本所と呼ばれていた地区は両国からスカイツリーのある押上あたりです。
本所深川地区は道が碁盤の目のようになっていて、土地も平坦であるためこのように路地からスカイツリーの全貌を写すことが可能です。

まず紹介する永倉稲荷は、前回紹介した五柱稲荷から錦糸町に向かって真っすぐ歩いて約5分の場所にあります。
大正時代に近辺で起きた火事の際、稲荷社の跡が発見され祟りを鎮めるために創建されたそうです。

永倉稲荷から見て錦糸町方面に向かうと津軽稲荷があります。
津軽藩の下屋敷の屋敷神だったことが名前の由来です。

このシリーズで紹介してきたお稲荷様の中では一番境内が広く、弁財天を祀る祠もあります。

千種稲荷です。錦糸公園の片隅に鎮座していますが、創建年代は不明とのことです。錦糸公園は旧陸軍兵器廠錦糸堀倉庫の跡地です。この軍事施設を造る際このお稲荷様を移そうとしたところ、事故が多発したのでこの地の残ることとなったそうです。

この強いお力は東京大空襲でも発揮され、この神社近くに避難した住民は無事だったそうです。
「ぶらタモリ」でタモリが地元の寺社を調べると街の歴史が分かるという内容のことをおしゃっていました。今回のシリーズで自分にとっては単なる職場がある場所である本所深川界隈の歴史を知り、愛着がわいてきました。