月岡芳年 清姫
夏になるとホラーを読みたくなる人も多いと思います。浮世絵にはホラーを題材にした作品も多いです。
月岡芳年は「和漢百物語」、「魁題百撰相」、「新形三十六怪撰」といったホラーを題材にした作品群も多いのでその中から「和漢百物語」の「清姫」を紹介します。

着物の柄が鱗っぽく今まさに大蛇になろうしている場面です。裏切られた切なさも伝わってくる一品です。
月岡芳年が描くホラーな作品はスプラッターなものが多く即物的に恐怖を感じますが、波が安珍をあの世に送ろうとする意思のようです。 また、好きすぎて病んだ清姫の心のうちを表しているのかもしれません。
清姫の話に限らず、女性がふった男を呪う話は多いですが、私自身はというと、ふった翌日に携帯に大量のメール爆弾が届きアドレスを即変えました。一日中届くスパムメールよりもそういうことをする彼女の方が怖かったです。
裏切られた切なさ・好きすぎて病んだ気持ちが伝わってくる作品としてこのブログでは次の作品も紹介しているのでよろしければどうぞ!!
曽我蕭白 美人図
「花筐」
月岡芳年は「和漢百物語」、「魁題百撰相」、「新形三十六怪撰」といったホラーを題材にした作品群も多いのでその中から「和漢百物語」の「清姫」を紹介します。

着物の柄が鱗っぽく今まさに大蛇になろうしている場面です。裏切られた切なさも伝わってくる一品です。
月岡芳年が描くホラーな作品はスプラッターなものが多く即物的に恐怖を感じますが、波が安珍をあの世に送ろうとする意思のようです。 また、好きすぎて病んだ清姫の心のうちを表しているのかもしれません。
清姫の話に限らず、女性がふった男を呪う話は多いですが、私自身はというと、ふった翌日に携帯に大量のメール爆弾が届きアドレスを即変えました。一日中届くスパムメールよりもそういうことをする彼女の方が怖かったです。
裏切られた切なさ・好きすぎて病んだ気持ちが伝わってくる作品としてこのブログでは次の作品も紹介しているのでよろしければどうぞ!!
曽我蕭白 美人図
「花筐」
スポンサーサイト
日本橋寺社巡り1 薬研堀不動院
ここ最近の寺社ネタは本所深川稲荷巡りを紹介していますがここでちょっと小休止。
久々に御朱印を紹介します。 なお、この記事は昨年の6月の記事を再編集したものです。
先々週、東日本橋にある取引先の帰り道に薬研堀不動院をお参りしました。

中央区は区全体がビル街ということもあってビルの谷間にひっそりとただずむ寺社が多く、このお寺もその一つです。
こじんまりとしたお寺ではありますが、目黒不動龍泉寺、目白不動金乗院と並んで江戸三大不動として知られています。また、川崎大師の東京別院でもあります。

階段わきに活けてある花は季節によって異なるのかもしれません。6月に撮影した上の画像はアジサイですが、夕方に撮影したので閉じてますが7月は朝顔でした。
右はお堂の内部です。御朱印はお堂の中で頂くことができます。

御朱印です。東日本橋は繊維関係の問屋が立ち並ぶ地域です。実家が布団屋なので子供の頃親の仕入れに付いて行ったものです。当時は今より問屋が多く、街全体が生地のかおりがしていました。
右の画像は本堂の近くにある矢ノ庫稲荷。本所深川はお稲荷様が多いといいましたが、神田・日本橋界隈も多いです。

このお寺の近くを流れる神田川は柳橋の風景です。屋形船はここから乗ってお台場方面に向かいます。海から見るフジテレビ・レインボーブリッジは地上で見るより迫力があります。では1週間がんばりましょう!!
この記事で紹介したお寺の記事もどうぞ!!
目黒不動龍泉寺
目白不動金乗院
川崎大師
久々に御朱印を紹介します。 なお、この記事は昨年の6月の記事を再編集したものです。
先々週、東日本橋にある取引先の帰り道に薬研堀不動院をお参りしました。

中央区は区全体がビル街ということもあってビルの谷間にひっそりとただずむ寺社が多く、このお寺もその一つです。
こじんまりとしたお寺ではありますが、目黒不動龍泉寺、目白不動金乗院と並んで江戸三大不動として知られています。また、川崎大師の東京別院でもあります。


階段わきに活けてある花は季節によって異なるのかもしれません。6月に撮影した上の画像はアジサイですが、夕方に撮影したので閉じてますが7月は朝顔でした。
右はお堂の内部です。御朱印はお堂の中で頂くことができます。


御朱印です。東日本橋は繊維関係の問屋が立ち並ぶ地域です。実家が布団屋なので子供の頃親の仕入れに付いて行ったものです。当時は今より問屋が多く、街全体が生地のかおりがしていました。
右の画像は本堂の近くにある矢ノ庫稲荷。本所深川はお稲荷様が多いといいましたが、神田・日本橋界隈も多いです。

このお寺の近くを流れる神田川は柳橋の風景です。屋形船はここから乗ってお台場方面に向かいます。海から見るフジテレビ・レインボーブリッジは地上で見るより迫力があります。では1週間がんばりましょう!!
この記事で紹介したお寺の記事もどうぞ!!
目黒不動龍泉寺
目白不動金乗院
川崎大師
ヴァロットン トルコ風呂
三菱一号館美術館で開催中の「ヴァロットン展 冷たい炎の画家 」を金曜日の会社帰りに行きました。今回と次回はこの展覧会で見た作品を紹介します。まずは「トルコ風呂」です。

フェリックス・ヴァロットンはスイス人の画家です。「冷たい炎」の画家というキャッチコピーのように、同じくナビ派の画家であるモーリス・ドニと比べると冷めたか感じの作風ではありますが、構図の妙もあっていつの間にか摩訶不思議な作品世界に引き込まれます。
(モーリス・ドニの作品も出展されていました。一方、この画家の「ルーマニア人の女」という作品はその真逆で生気がありました。)
この展示室に入ってすぐにあるこの作品は、摩訶不思議な世界の最たるものでした。ヴァロットンがアングルの「トルコ風呂」に感動して描いたという解説がありました。アングルの作品は風呂の熱気、湧きたつ色気で風呂の中にいるような気分ですが、こちらは「風呂」というよりプールにいるよな冷たさ、描かれている女性も色気というか現実感がないです。 例えていうなら近寄りがたいけなぜか気になる人に魅かれるような気分の作品でした。
印象派絵画を見て色彩の妙を、浮世絵を見て人々の営みに感動することは多いです。
一見不穏で好き嫌いは分かれるかもしれませんが、ぞくぞくする快感があった展覧会でした。印象派絵画の展覧会とは違った感動を得ることがうけあいです。ではまた!!
アングルの「トルコ風呂」(こちら)

フェリックス・ヴァロットンはスイス人の画家です。「冷たい炎」の画家というキャッチコピーのように、同じくナビ派の画家であるモーリス・ドニと比べると冷めたか感じの作風ではありますが、構図の妙もあっていつの間にか摩訶不思議な作品世界に引き込まれます。
(モーリス・ドニの作品も出展されていました。一方、この画家の「ルーマニア人の女」という作品はその真逆で生気がありました。)
この展示室に入ってすぐにあるこの作品は、摩訶不思議な世界の最たるものでした。ヴァロットンがアングルの「トルコ風呂」に感動して描いたという解説がありました。アングルの作品は風呂の熱気、湧きたつ色気で風呂の中にいるような気分ですが、こちらは「風呂」というよりプールにいるよな冷たさ、描かれている女性も色気というか現実感がないです。 例えていうなら近寄りがたいけなぜか気になる人に魅かれるような気分の作品でした。
印象派絵画を見て色彩の妙を、浮世絵を見て人々の営みに感動することは多いです。
一見不穏で好き嫌いは分かれるかもしれませんが、ぞくぞくする快感があった展覧会でした。印象派絵画の展覧会とは違った感動を得ることがうけあいです。ではまた!!
アングルの「トルコ風呂」(こちら)
本所深川稲荷巡り5 堅川沿いのお稲荷様
本所深川稲荷巡りの1から4は深川界隈(江東区)でしたが、今回は本所界隈のお稲荷様です。
まず紹介するのは元徳稲荷神社です。墨田区立川にあります。

「元徳」だから三国志好きな方が創建と一瞬思いましたが、、、(劉備の字は玄徳だった)岡崎に住んでいた河村徳右衛門氏が氏神として祀っていたお稲荷様であることが名前の由来だそうです。

腫物の治癒に御利益があるそうです。江戸時代から明治にかけては参拝客が多く、縁日も大変にぎわったそうです。
右の画像は現在の本所のランドマークであるスカイツリー。下町的風景にひょっこりそびえてます。

本所深川は江戸の商工業を支えていた街ですが、武家屋敷も多かったそうです。とくに有名なのは鬼平と遠山の金さんです。おふた方は同じ官舎に住んでいたようです。

同じく墨田区立川にある榎稲荷神社です。 この神社も旗本の屋敷神でした。

境内には東京大空襲の犠牲者を慰霊するお地蔵様もいらっしゃります。
本所深川は特に空襲の被害が多かったのでこのようなお地蔵様もたくさんいらっしゃります。右はこの神社周辺の下町的な風景。町工場もまだまだ沢山ある地域です。

最後は墨田区緑にある五柱神社。この神社は泥棒よけの御利益があるそうです。 この神社は御朱印を頂くことが可能らしいです。
今回紹介した神社に限らず、屋敷神が今なお大切にされています。この記事書いて思ったのは、本所深川の歴史は、再生と破壊を繰り返しながら発展していった東京の街の歴史そのものだなということです。次回は錦糸町界隈の神社を紹介します。
まず紹介するのは元徳稲荷神社です。墨田区立川にあります。

「元徳」だから三国志好きな方が創建と一瞬思いましたが、、、(劉備の字は玄徳だった)岡崎に住んでいた河村徳右衛門氏が氏神として祀っていたお稲荷様であることが名前の由来だそうです。


腫物の治癒に御利益があるそうです。江戸時代から明治にかけては参拝客が多く、縁日も大変にぎわったそうです。
右の画像は現在の本所のランドマークであるスカイツリー。下町的風景にひょっこりそびえてます。

本所深川は江戸の商工業を支えていた街ですが、武家屋敷も多かったそうです。とくに有名なのは鬼平と遠山の金さんです。おふた方は同じ官舎に住んでいたようです。

同じく墨田区立川にある榎稲荷神社です。 この神社も旗本の屋敷神でした。


境内には東京大空襲の犠牲者を慰霊するお地蔵様もいらっしゃります。
本所深川は特に空襲の被害が多かったのでこのようなお地蔵様もたくさんいらっしゃります。右はこの神社周辺の下町的な風景。町工場もまだまだ沢山ある地域です。

最後は墨田区緑にある五柱神社。この神社は泥棒よけの御利益があるそうです。 この神社は御朱印を頂くことが可能らしいです。
今回紹介した神社に限らず、屋敷神が今なお大切にされています。この記事書いて思ったのは、本所深川の歴史は、再生と破壊を繰り返しながら発展していった東京の街の歴史そのものだなということです。次回は錦糸町界隈の神社を紹介します。