五條天神社と花園稲荷 台東区上野公園
5月のある日上野から直帰だったので、五條天神社と花園稲荷にお参りしました。

五條天神社は日本武尊が建立したと伝えられてるので、約1900年前に建立された神社となります。なお、不忍池を挟んだ対岸の文京区湯島にも日本武尊ゆかりの妻恋神社(記事はこちら)があるので、神代の頃から不忍池周辺は聖域だったことが分かります

上の画像は別の日に撮影したものです。午前中ですが、この神社の境内はいつも賑わっている上野公園にしては穏やかな雰囲気です。神代から聖域だったからでしょう。

日本武尊が東征の際、薬祖神二柱の大神が現れたのでこれを祀るために建立しましたが、江戸時代に菅原道真公を合祀しました。

五條天神社の御朱印はシンプルですが、神社の御朱印はこれが本来のスタイルです。伊勢神宮の御朱印もこのような体裁です。

花園稲荷は五条天神社と同じ敷地内にあります。これは上野公園側にある入口です。

鳥居が連なる様は、日本人にとっても神秘的ですが外国の特に西洋人にはとても神秘的に感じるらしく撮影する欧米人が多かったです。

お稲荷様は商売繁盛の神様ですが、上野の賑わいもこちらのお稲荷様のおかげかもしれないです。

こちらのお稲荷様にも「お穴」があります。
こちらのお穴は上の画像の鳥居を進み、崖と建物に挟まれた狭い場所に祠があります。こちらの「お穴」は撮影は遠慮するようとことです。神聖な場所だから当然です。というより撮影したらばちが当たりそうな妖しくも神奈備た祠です。
上野公園周辺は寺社も多いですが、五條天神社と花園稲荷は特に古いのでご利益も一番ありそうです。展覧会帰りにお参りすることをお勧めします。次回も日本武尊ゆかりの神社です。

五條天神社は日本武尊が建立したと伝えられてるので、約1900年前に建立された神社となります。なお、不忍池を挟んだ対岸の文京区湯島にも日本武尊ゆかりの妻恋神社(記事はこちら)があるので、神代の頃から不忍池周辺は聖域だったことが分かります

上の画像は別の日に撮影したものです。午前中ですが、この神社の境内はいつも賑わっている上野公園にしては穏やかな雰囲気です。神代から聖域だったからでしょう。

日本武尊が東征の際、薬祖神二柱の大神が現れたのでこれを祀るために建立しましたが、江戸時代に菅原道真公を合祀しました。

五條天神社の御朱印はシンプルですが、神社の御朱印はこれが本来のスタイルです。伊勢神宮の御朱印もこのような体裁です。

花園稲荷は五条天神社と同じ敷地内にあります。これは上野公園側にある入口です。

鳥居が連なる様は、日本人にとっても神秘的ですが外国の特に西洋人にはとても神秘的に感じるらしく撮影する欧米人が多かったです。

お稲荷様は商売繁盛の神様ですが、上野の賑わいもこちらのお稲荷様のおかげかもしれないです。

こちらのお稲荷様にも「お穴」があります。
こちらのお穴は上の画像の鳥居を進み、崖と建物に挟まれた狭い場所に祠があります。こちらの「お穴」は撮影は遠慮するようとことです。神聖な場所だから当然です。というより撮影したらばちが当たりそうな妖しくも神奈備た祠です。
上野公園周辺は寺社も多いですが、五條天神社と花園稲荷は特に古いのでご利益も一番ありそうです。展覧会帰りにお参りすることをお勧めします。次回も日本武尊ゆかりの神社です。
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臨江寺と頣神院周辺のお寺
観智院の次は三崎坂を下り、臨江寺に向かいました。
なお、この道中にも名刹はあります。こちらをご覧ください。全生庵と大円寺

谷中は観光地でもあるので主だった場所やお寺は賑やかですが、このお寺は落ち着いた佇まいです。
山門の雰囲気は江戸時代にタイムスリップしたような気分になります。

谷中は境内が舗装されているお寺が多いですが、山門から本堂まで石畳のところが風情があります。このお寺は谷中で一番絵になる風景があるお寺と聞きお参りしましたが、大正解でした。

臨江寺から三浦坂を上った場所にある妙行寺です。この画像は摩利支天を祀るお堂です。摩利支天様は2階に祀られています。私が子供の頃、昭和50年代は実家の近所にはこのような木造の民家はまだありました。
谷中は昔の風景が残っているのが魅力です。この魅力の正体は何か?私にとっては昔の良かった思い出・風景が目の前によみがえるからです。

妙行寺の近くにあるのがヒラヤマ杉ですが、くちなしの生垣を忘れてはいけません。

築地壁もいいですが、生垣はさわやかな美しさがよいです。江戸時代の郊外はこのような風景が広がっていたのでしょう。

くちなしの生垣は頣神院の参道です。イシンインと読みます。珍しい漢字に魅かれて今回お参りしました。くちなしの開花時期は6月から7月なので今時分は白い花で華やかと思われます。
このお寺周辺にある延寿寺と蓮華寺の記事もどうぞ(こちら)
なお、この道中にも名刹はあります。こちらをご覧ください。全生庵と大円寺

谷中は観光地でもあるので主だった場所やお寺は賑やかですが、このお寺は落ち着いた佇まいです。
山門の雰囲気は江戸時代にタイムスリップしたような気分になります。

谷中は境内が舗装されているお寺が多いですが、山門から本堂まで石畳のところが風情があります。このお寺は谷中で一番絵になる風景があるお寺と聞きお参りしましたが、大正解でした。

臨江寺から三浦坂を上った場所にある妙行寺です。この画像は摩利支天を祀るお堂です。摩利支天様は2階に祀られています。私が子供の頃、昭和50年代は実家の近所にはこのような木造の民家はまだありました。
谷中は昔の風景が残っているのが魅力です。この魅力の正体は何か?私にとっては昔の良かった思い出・風景が目の前によみがえるからです。

妙行寺の近くにあるのがヒラヤマ杉ですが、くちなしの生垣を忘れてはいけません。

築地壁もいいですが、生垣はさわやかな美しさがよいです。江戸時代の郊外はこのような風景が広がっていたのでしょう。

くちなしの生垣は頣神院の参道です。イシンインと読みます。珍しい漢字に魅かれて今回お参りしました。くちなしの開花時期は6月から7月なので今時分は白い花で華やかと思われます。
このお寺周辺にある延寿寺と蓮華寺の記事もどうぞ(こちら)
長安寺と観智院
GWは谷中お寺巡りもしました。
谷中の魅力は古い街並です。下の画像は谷中の定番スポット「初音小路」です。

私が子供のころ、どの街にもこのような飲み屋が集まった一角があったものです。酔客の笑い声や焼き鳥のにおいに大人は楽しそうと思ったものです。

初音小路から見て上野方面に進み、築地壁で有名な「観音寺」の近くになる長安寺の境内です。

このお寺の見どころは「板碑」です。「板碑」は中世の関東でよく作られた石の卒塔婆です。
この「板碑」があるお寺は中世からこの地にあることを示しています。長安時は江戸時代に設立されましたが、それ以前にもこの地にお寺があり、鎌倉の武士が治めていたようです。
都内の寺社巡りは江戸時代にタイムスリップできますが、「板碑」・「鎌倉街道」をキーワードに中世の東京にタイムスリップするのも是非お勧めします。

長安寺から上野方面に進んだ場所にある観智院です。GWなので境内にはこいのぼりが舞っていました。

防火にご利益があるお不動様と弘法大師様を祀るお堂です。この建物は江戸時代からあります。谷中は戦災を免れたのはこのお不動様のおかげかもしれないです。

弘法大師様です。札所なので御朱印を頂くことは可能です。

初音六地蔵です。谷中でもこの一帯は「初音町」という地名でした。近所に鶯谷があることもあってとても美しい町名ですね。
ちなみに「鏡音」、「巡音」という町名はあるのでしょうか、、、、、(初音ミクの仲間の名字です)次回はヒラヤマ杉界隈のお寺です。
今回紹介したお寺の近辺の記事もどうぞ!
全生庵と周辺のお寺
観音寺
谷中の魅力は古い街並です。下の画像は谷中の定番スポット「初音小路」です。

私が子供のころ、どの街にもこのような飲み屋が集まった一角があったものです。酔客の笑い声や焼き鳥のにおいに大人は楽しそうと思ったものです。

初音小路から見て上野方面に進み、築地壁で有名な「観音寺」の近くになる長安寺の境内です。

このお寺の見どころは「板碑」です。「板碑」は中世の関東でよく作られた石の卒塔婆です。
この「板碑」があるお寺は中世からこの地にあることを示しています。長安時は江戸時代に設立されましたが、それ以前にもこの地にお寺があり、鎌倉の武士が治めていたようです。
都内の寺社巡りは江戸時代にタイムスリップできますが、「板碑」・「鎌倉街道」をキーワードに中世の東京にタイムスリップするのも是非お勧めします。

長安寺から上野方面に進んだ場所にある観智院です。GWなので境内にはこいのぼりが舞っていました。

防火にご利益があるお不動様と弘法大師様を祀るお堂です。この建物は江戸時代からあります。谷中は戦災を免れたのはこのお不動様のおかげかもしれないです。

弘法大師様です。札所なので御朱印を頂くことは可能です。

初音六地蔵です。谷中でもこの一帯は「初音町」という地名でした。近所に鶯谷があることもあってとても美しい町名ですね。
ちなみに「鏡音」、「巡音」という町名はあるのでしょうか、、、、、(初音ミクの仲間の名字です)次回はヒラヤマ杉界隈のお寺です。
今回紹介したお寺の近辺の記事もどうぞ!
全生庵と周辺のお寺
観音寺
葛飾北斎 鳳凰図屏風
会社近所の東京都現在美術館では日本人初のスーパーモデル、山口小夜子の生きざまをテーマした展覧会が開催されています。そういうわけで会社の近所はこの山口小夜子の日本的妖艶さをたたえたポスターがあちこちに貼られてました。
このポスターを見て連想したのが今回紹介する葛飾北斎の「鳳凰図屏風」です。

妖艶なまなざしが魅力的なこの作品は葛飾北斎が遊郭から依頼されて作成したそうです。
さて、妖艶とは、悩ましげな美女が誘惑してる図を楽しむものとは限らず、淫靡で背徳的な魅力が満ち溢れた雰囲気を楽しむことにあるとも思います。
部屋に入るとあたかも誘惑しているような妖しいまなざしの鳳凰が現れ、赤い羽毛はこれからおこなわれることを盛り上げます。屏風の向こうにはしどけない遊女がいる。。。(うなじはもちろんこちらに向けている)この作品が置かれている状況を考えただけでも十分妖艶です。。
鳳凰といえば伊藤若冲も有名ですが(こちら)もし、お互いの存在を知っていて画力対決をしたとしたら、、、、と思うとこの作品の見方も別になってきますね。
このポスターを見て連想したのが今回紹介する葛飾北斎の「鳳凰図屏風」です。

妖艶なまなざしが魅力的なこの作品は葛飾北斎が遊郭から依頼されて作成したそうです。
さて、妖艶とは、悩ましげな美女が誘惑してる図を楽しむものとは限らず、淫靡で背徳的な魅力が満ち溢れた雰囲気を楽しむことにあるとも思います。
部屋に入るとあたかも誘惑しているような妖しいまなざしの鳳凰が現れ、赤い羽毛はこれからおこなわれることを盛り上げます。屏風の向こうにはしどけない遊女がいる。。。(うなじはもちろんこちらに向けている)この作品が置かれている状況を考えただけでも十分妖艶です。。
鳳凰といえば伊藤若冲も有名ですが(こちら)もし、お互いの存在を知っていて画力対決をしたとしたら、、、、と思うとこの作品の見方も別になってきますね。