千住博 ウォーターホール
先日新宿へ行った際に、地下鉄副都心線の新宿3丁目駅の高島屋寄りの改札口にある千住博の「ウォーターホール」を見たので紹介します。

まずは全体図です。

作品の左側です。

右側です。
滝というより、天地創造、銀河といった言葉も思い浮かびます。「ウォーターホール」はいろいろな解釈ができるので、解釈について語り合うのも楽しそうです。

ちなみにこちらは軽井沢にある千住博の美術館にある「ウォーターホール 2004」です。爽やかな青空を見ているような気分になります。
また、この美術館には蛍光塗料で滝を描いた「デイフォール・ナイトフォール」も必見です。ブラックライトに照らされて妖しく光る滝は鍾乳石のように幻想的で、映画マトリックスのオープニングやトロンのようにサイバーな不思議な作品もあります。
千住博のパブリックアートは多くありますが、豊島区にある大正大学のキャンパスにある鴨台観音堂の「ウォーターホール」は夜景に映えて美しいのでお勧めします(こちら)。

まずは全体図です。

作品の左側です。

右側です。
滝というより、天地創造、銀河といった言葉も思い浮かびます。「ウォーターホール」はいろいろな解釈ができるので、解釈について語り合うのも楽しそうです。

ちなみにこちらは軽井沢にある千住博の美術館にある「ウォーターホール 2004」です。爽やかな青空を見ているような気分になります。
また、この美術館には蛍光塗料で滝を描いた「デイフォール・ナイトフォール」も必見です。ブラックライトに照らされて妖しく光る滝は鍾乳石のように幻想的で、映画マトリックスのオープニングやトロンのようにサイバーな不思議な作品もあります。
千住博のパブリックアートは多くありますが、豊島区にある大正大学のキャンパスにある鴨台観音堂の「ウォーターホール」は夜景に映えて美しいのでお勧めします(こちら)。
スポンサーサイト
本郷界隈の神社
前回、湯島の神社を紹介したので今回はその隣にある本郷界隈の神社を紹介します。
まずは、本郷7丁目にある元富士神社です。

本郷村の名主が1573年に、富士浅間社を勧請したものです。その後、1628年に加賀前田家が上屋敷をこの地に建てたこのに伴い、駒込に移転し駒込富士神社(こちら)となりました。この神社はいわば本宮です。

元富士神社の目と鼻の先にある本郷薬師です。かつてこの地にあった真光寺のお堂ですが、戦災によりお寺は移転。
薬師堂だけがこの地に残りました。

薬師堂の縁日は大変な賑わいだったそうです。朱い提灯の光が縁日の賑わいを思い起こさせるので、夕方にこのお堂をお参りすることをお勧めします。

先ほどの寺社は本郷台と呼ばれる台地の上にありますが、こちらは台地を下がった本郷1丁目にある出世稲荷神社です。

この神社は、春日局が屋敷神として創建、春日局が大奥の権力者に出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。大奥は女性だらけの職場ですが、私は8人中6人が女性の部署なので、、、、いろいろ苦労してます。。。。。

最後に出世稲荷神社から歩いて10分程、樋口一葉ゆかりの史跡がある菊坂にある火伏稲荷大明神です。
いつ頃創建されたかは不明ですが、このような地域を守り続けているお稲荷様はいつまでも残っていてほしいものです。
このブログで紹介している本郷に関する記事も合わせてごらんください。
菊坂周辺の史跡
金刀比羅宮 東京分社と本郷の名所
三河稲荷神社と桜木神社
まずは、本郷7丁目にある元富士神社です。

本郷村の名主が1573年に、富士浅間社を勧請したものです。その後、1628年に加賀前田家が上屋敷をこの地に建てたこのに伴い、駒込に移転し駒込富士神社(こちら)となりました。この神社はいわば本宮です。

元富士神社の目と鼻の先にある本郷薬師です。かつてこの地にあった真光寺のお堂ですが、戦災によりお寺は移転。
薬師堂だけがこの地に残りました。

薬師堂の縁日は大変な賑わいだったそうです。朱い提灯の光が縁日の賑わいを思い起こさせるので、夕方にこのお堂をお参りすることをお勧めします。

先ほどの寺社は本郷台と呼ばれる台地の上にありますが、こちらは台地を下がった本郷1丁目にある出世稲荷神社です。

この神社は、春日局が屋敷神として創建、春日局が大奥の権力者に出世したことから、出世稲荷と称されるようになったといいます。大奥は女性だらけの職場ですが、私は8人中6人が女性の部署なので、、、、いろいろ苦労してます。。。。。

最後に出世稲荷神社から歩いて10分程、樋口一葉ゆかりの史跡がある菊坂にある火伏稲荷大明神です。
いつ頃創建されたかは不明ですが、このような地域を守り続けているお稲荷様はいつまでも残っていてほしいものです。
このブログで紹介している本郷に関する記事も合わせてごらんください。
菊坂周辺の史跡
金刀比羅宮 東京分社と本郷の名所
三河稲荷神社と桜木神社
ヤン・ファン・エイク アルノルフィーニ夫婦
11月22日はいい夫婦の日ということで、ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫婦 」です。
この作品はナショナルギャラリーが所蔵しており、新婚旅行のときに見ました。数ある夫婦を描いた作品の中でこの作品を紹介するのは、夫婦で見た思い出があるからです。

ヤン・ファン・エイクは神の手をもつ男と称えられたほど卓越した技量を持った画家と知られます。この画家がいなければレンブラントもフェルメールも生まれなかったでしょう。このブログでは「写実絵画」をよく紹介しますが、これらの作品群もこの作品から始まったといっても過言ではないです。
最初は男性(アルノルフィーニ氏)の真面目そうな、冷たそうな表情を見て良い印象を持ってませんでしたが、この男性の職業は銀行家であり同業者なので、親近感があります。(といっても私は金融機関職員としては傍流、、)
この作品はアルノルフィーニ氏の婚礼の様子を描いた説、単なる肖像画とする説、亡き妻を偲んで描かれた説等様々な説がありますが、個人的には、新郎は婚礼で緊張してかちかちな顔、新婦は恥じらうようにちょっぴりうつむいてるように見えるのでこれは婚礼の様子を描いた説を採ります。
この作品はナショナルギャラリーが所蔵しており、新婚旅行のときに見ました。数ある夫婦を描いた作品の中でこの作品を紹介するのは、夫婦で見た思い出があるからです。

ヤン・ファン・エイクは神の手をもつ男と称えられたほど卓越した技量を持った画家と知られます。この画家がいなければレンブラントもフェルメールも生まれなかったでしょう。このブログでは「写実絵画」をよく紹介しますが、これらの作品群もこの作品から始まったといっても過言ではないです。
最初は男性(アルノルフィーニ氏)の真面目そうな、冷たそうな表情を見て良い印象を持ってませんでしたが、この男性の職業は銀行家であり同業者なので、親近感があります。(といっても私は金融機関職員としては傍流、、)
この作品はアルノルフィーニ氏の婚礼の様子を描いた説、単なる肖像画とする説、亡き妻を偲んで描かれた説等様々な説がありますが、個人的には、新郎は婚礼で緊張してかちかちな顔、新婦は恥じらうようにちょっぴりうつむいてるように見えるのでこれは婚礼の様子を描いた説を採ります。
妻恋神社と湯島御霊社
日の長い春から夏の仕事が早く終わった日は神田、日本橋、深川界隈の神社を巡っていますが、文京区界隈の神社を巡ることもあります。 そこで会社帰りにお参りした文京区の神社を3回に亘り紹介します。まずは湯島にある妻恋神社と湯島御霊社です。
妻恋神社は文京区湯島3丁目にある小さな神社です。神田明神から湯島天神に行く途中にあります。

小さな神社ですが、東夷平定に赴いた日本武尊が湯島の地に滞在した際、亡くなった妃を慕う心を憐れんだ土地の人々が、尊と妃を祀ったのが創祀とされています。
さて、不忍池を挟んで湯島の対岸にある五條天神社も日本武尊に由来します。また、湯島の隣は神田です。名前の通り神の田があったので古代の東京における重要な地に違いなく、大和朝廷の軍隊が駐留したことは十分考えられますね。

この神社がある湯島は江戸時代、カップルのための茶屋が多い場所だったそうですが、現在もそういう場所です。江戸と東京は地続きであるようです。 続いては湯島2丁目にある湯島御霊社です。

坂道が多い湯島界隈にあり、この神社も坂の中腹にあります。

京都の御霊神社から分霊し、1710年(6代将軍徳川家宣の頃)に当地に遷座したそうです。
御霊神社は一言でいえば理不尽な目に合った人を祀る神社ですが、負のパワーも正しく祀れば正のパワーになります。これは
案外、いろいろ悩み多い人生のヒントになるかもしれないです。

境内は意外と広く、夏だったので百日紅が咲いていました。都内には諸国の著名な神社を分霊したものは多くありますが、京都の御霊神社から分霊したのはここのみと思われます。
湯島といえば湯島天神ですが、この神社以外にも見どころは多いです。このブログで紹介している湯島界隈の寺社の記事もどうぞ!次回は本郷界隈の神社です。
霊雲寺(こちら)
講安寺と心城院(こちら)
麟祥院(こちら)
妻恋神社は文京区湯島3丁目にある小さな神社です。神田明神から湯島天神に行く途中にあります。

小さな神社ですが、東夷平定に赴いた日本武尊が湯島の地に滞在した際、亡くなった妃を慕う心を憐れんだ土地の人々が、尊と妃を祀ったのが創祀とされています。
さて、不忍池を挟んで湯島の対岸にある五條天神社も日本武尊に由来します。また、湯島の隣は神田です。名前の通り神の田があったので古代の東京における重要な地に違いなく、大和朝廷の軍隊が駐留したことは十分考えられますね。

この神社がある湯島は江戸時代、カップルのための茶屋が多い場所だったそうですが、現在もそういう場所です。江戸と東京は地続きであるようです。 続いては湯島2丁目にある湯島御霊社です。

坂道が多い湯島界隈にあり、この神社も坂の中腹にあります。

京都の御霊神社から分霊し、1710年(6代将軍徳川家宣の頃)に当地に遷座したそうです。
御霊神社は一言でいえば理不尽な目に合った人を祀る神社ですが、負のパワーも正しく祀れば正のパワーになります。これは
案外、いろいろ悩み多い人生のヒントになるかもしれないです。

境内は意外と広く、夏だったので百日紅が咲いていました。都内には諸国の著名な神社を分霊したものは多くありますが、京都の御霊神社から分霊したのはここのみと思われます。
湯島といえば湯島天神ですが、この神社以外にも見どころは多いです。このブログで紹介している湯島界隈の寺社の記事もどうぞ!次回は本郷界隈の神社です。
霊雲寺(こちら)
講安寺と心城院(こちら)
麟祥院(こちら)