江戸城天守復元模型
10月3日に皇居東御苑で公開中の江戸城天守復元模型を見に行きました。

江戸城には慶長期,元和期,寛永期と3度にわたり天守が築かれており、今回復元されたのは寛永期のものです。

復元模型とはいえ堂々として凛としています。

江戸城の天守は、徳川家の権勢の象徴だから絢爛豪華なもの(多分、最高の資材を使っているだろうから実際は豪華)をイメージしていましたが、威厳があるものでした。

こちらは天守閣跡です。この上に模型のような建物があった思うと江戸時代の建築技術の高さというより日本人の技の凄さを感じました。

天守閣跡地からの眺めです。正面の建物は桃華楽堂です。私が見た建築物の中で最も優雅です。

江戸城の天守閣を復元しようという運動(発起人の一人は太田道灌公の子孫)があります。この模型を見るまでは復元する意味はあるのか?と思っていました。
日本人の技の継承はもちろんのこと、大手町・丸の内は荒川が決壊したら水没しますが、天守閣があった場所は高台なので災害時の避難場所として十分機能しそうです。だから、天守復元は価値があると思い直しました。

江戸城には慶長期,元和期,寛永期と3度にわたり天守が築かれており、今回復元されたのは寛永期のものです。

復元模型とはいえ堂々として凛としています。

江戸城の天守は、徳川家の権勢の象徴だから絢爛豪華なもの(多分、最高の資材を使っているだろうから実際は豪華)をイメージしていましたが、威厳があるものでした。

こちらは天守閣跡です。この上に模型のような建物があった思うと江戸時代の建築技術の高さというより日本人の技の凄さを感じました。

天守閣跡地からの眺めです。正面の建物は桃華楽堂です。私が見た建築物の中で最も優雅です。

江戸城の天守閣を復元しようという運動(発起人の一人は太田道灌公の子孫)があります。この模型を見るまでは復元する意味はあるのか?と思っていました。
日本人の技の継承はもちろんのこと、大手町・丸の内は荒川が決壊したら水没しますが、天守閣があった場所は高台なので災害時の避難場所として十分機能しそうです。だから、天守復元は価値があると思い直しました。
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