地福寺 北区中十条
GWは北区・板橋区の自宅から自転車で行ける範囲の寺社をお参りしました。
まずは北区中十条にある地福寺です。

このお寺は前九年の役に随行した京都の仁和寺の僧が、戦後もこの地に留まり創建したといわれております。
このお寺は日光御成街道に面しています。以前本郷通りは寺社が多いといったことがありましたが、この通りはかつての日光御成街道であり、江戸時代以前は鎌倉街道でした。

境内にある水琴窟です。このブログは寺社周辺の地形も紹介したいと思ってますが、上野から赤羽を貫く断崖の端にこのお寺はあります。


四国八十八カ所お砂踏みです。一つ一つの石像はユーモラスですが、奥の方には「母娘遍路像(救らいの像)」があります。
かつて、ハンセン病に苦しむ人々が救いを求めて四国にお遍路に行った姿の像です。

貞明皇后(上皇陛下の祖母)の彫像です。このお寺はハンセン病患者の支援を行っております。この彫像はハンセン病救援事業の草分けとなった貞明皇后を称えたものです。
なお、このお寺の御朱印にはらい病から救うという意味の印が押されているそうです。
今回、このお寺をお参りしたのは自転車で行ける距離にあることと、最近よく読む漫画「昭和天皇物語」の登場人物で興味があったからです。このお寺には他にも閻魔大王の庚申塔がありますが、このことはお参りした後に知りました。次回はこのお寺から見て赤羽寄りにあるお寺を紹介します。
このブログでは大正天皇と貞明皇后の御陵印も紹介しています。(こちら)
まずは北区中十条にある地福寺です。

このお寺は前九年の役に随行した京都の仁和寺の僧が、戦後もこの地に留まり創建したといわれております。
このお寺は日光御成街道に面しています。以前本郷通りは寺社が多いといったことがありましたが、この通りはかつての日光御成街道であり、江戸時代以前は鎌倉街道でした。

境内にある水琴窟です。このブログは寺社周辺の地形も紹介したいと思ってますが、上野から赤羽を貫く断崖の端にこのお寺はあります。


四国八十八カ所お砂踏みです。一つ一つの石像はユーモラスですが、奥の方には「母娘遍路像(救らいの像)」があります。
かつて、ハンセン病に苦しむ人々が救いを求めて四国にお遍路に行った姿の像です。

貞明皇后(上皇陛下の祖母)の彫像です。このお寺はハンセン病患者の支援を行っております。この彫像はハンセン病救援事業の草分けとなった貞明皇后を称えたものです。
なお、このお寺の御朱印にはらい病から救うという意味の印が押されているそうです。
今回、このお寺をお参りしたのは自転車で行ける距離にあることと、最近よく読む漫画「昭和天皇物語」の登場人物で興味があったからです。このお寺には他にも閻魔大王の庚申塔がありますが、このことはお参りした後に知りました。次回はこのお寺から見て赤羽寄りにあるお寺を紹介します。
このブログでは大正天皇と貞明皇后の御陵印も紹介しています。(こちら)
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文京区の名建築・教会巡り
洋館といえば、近隣にある文京区もたくさんあります。
まずは求道会館です。
樋口一葉の史跡で有名な菊坂の麓から東京大学農学部キャンパス方面に至る坂道を登り、そのわきにあります。

この建物は東京都の指定有形文化財です。キリスト教会風の仏教寺院で日本に初めてアールヌーボーやゼセッションを本格的に紹介したといわれる建築家・武田五一の作品です。文京区の本郷界隈の良いところはこのような建築物が現役で残っていることです。
さらに坂道を上り、本郷通りを左折してさらに2又に分かれた道を左に進んだ場所にあるのが日本基督教団西片町教会です。

昭和初期に建てられたゴシック様式の教会です。
この教会から一旦根津方面に戻り、権現坂(S坂)の入口を目指す場所にあるのがもう一つの赤門として知られる西教寺です。

朱塗りの表門は、幕末の大老酒井雅楽頭の屋敷から譲り受けて移築したものです。文京区の向丘から駒込にかけてはお寺も多いですが、このお寺の門はなかなか立派です。

質実剛健にして華麗なさまが素晴らしいです。そして権現坂(S坂)の入口あたりにある聖テモテ教会です。

この画像は冬に撮影したものです。
1903年(明治36年)アメリカ人宣教師ウェルボーンによって設立された教会です。この建物は戦後に再建されたものです。
春は桜が咲きとても絵になる、美しい教会です。上の画像だけを見ているとここはヨーロッパの町中にいるみたいです。
S坂を降った場所に根津教会があります。

礼拝堂は1919(大正8)年に建てられたました。関東大震災・東京大空襲も免れたこの教会は都内では、都内では大変に珍しい木造の西洋建築物です。文化庁の登録有形文化財にも指定されています。
多くの文学作品に登場する文京区の風景は、ざっくばらんに言えば洋館と江戸時代からあるお屋敷が立ち並んだ町並みです。
次回はGWにお参りした寺社です。
まずは求道会館です。
樋口一葉の史跡で有名な菊坂の麓から東京大学農学部キャンパス方面に至る坂道を登り、そのわきにあります。

この建物は東京都の指定有形文化財です。キリスト教会風の仏教寺院で日本に初めてアールヌーボーやゼセッションを本格的に紹介したといわれる建築家・武田五一の作品です。文京区の本郷界隈の良いところはこのような建築物が現役で残っていることです。
さらに坂道を上り、本郷通りを左折してさらに2又に分かれた道を左に進んだ場所にあるのが日本基督教団西片町教会です。

昭和初期に建てられたゴシック様式の教会です。
この教会から一旦根津方面に戻り、権現坂(S坂)の入口を目指す場所にあるのがもう一つの赤門として知られる西教寺です。

朱塗りの表門は、幕末の大老酒井雅楽頭の屋敷から譲り受けて移築したものです。文京区の向丘から駒込にかけてはお寺も多いですが、このお寺の門はなかなか立派です。

質実剛健にして華麗なさまが素晴らしいです。そして権現坂(S坂)の入口あたりにある聖テモテ教会です。

この画像は冬に撮影したものです。
1903年(明治36年)アメリカ人宣教師ウェルボーンによって設立された教会です。この建物は戦後に再建されたものです。
春は桜が咲きとても絵になる、美しい教会です。上の画像だけを見ているとここはヨーロッパの町中にいるみたいです。
S坂を降った場所に根津教会があります。

礼拝堂は1919(大正8)年に建てられたました。関東大震災・東京大空襲も免れたこの教会は都内では、都内では大変に珍しい木造の西洋建築物です。文化庁の登録有形文化財にも指定されています。
多くの文学作品に登場する文京区の風景は、ざっくばらんに言えば洋館と江戸時代からあるお屋敷が立ち並んだ町並みです。
次回はGWにお参りした寺社です。
市川の洋館
弘法寺周辺は洋館も多いです。

まずは市川市木内ギャラリーです。貴族院議員であった木内重四郎が当地に建てた和洋折衷様式の洋館です。

緑豊かな住宅街にあります。大正3年に建てられた建物でしたが、老朽化のため保存状態が比較的良好な部材を生かしながら復元・再築されたものです。

木内ギャラリーの隣にある「廣池千太郎記念館」です。廣池千太郎という人物は麗澤大学の学長を務めた方である以外はこの洋館がいつ建てられたのかは検索しても不明でした。

市川真間駅前にある「旧京成電鉄社員倶楽部」です。昭和4年に建てられた木造2階建ての建物です。

市川市は戦前から高級住宅街でした。その名残で今回訪れたところ以外にも洋館がありますし、いい感じの邸宅も立ち並んでいました。今回訪れた地域はマンションが見当たらず、弘法寺を借景にしたとても雰囲気の良い街でした。

まずは市川市木内ギャラリーです。貴族院議員であった木内重四郎が当地に建てた和洋折衷様式の洋館です。

緑豊かな住宅街にあります。大正3年に建てられた建物でしたが、老朽化のため保存状態が比較的良好な部材を生かしながら復元・再築されたものです。

木内ギャラリーの隣にある「廣池千太郎記念館」です。廣池千太郎という人物は麗澤大学の学長を務めた方である以外はこの洋館がいつ建てられたのかは検索しても不明でした。

市川真間駅前にある「旧京成電鉄社員倶楽部」です。昭和4年に建てられた木造2階建ての建物です。

市川市は戦前から高級住宅街でした。その名残で今回訪れたところ以外にも洋館がありますし、いい感じの邸宅も立ち並んでいました。今回訪れた地域はマンションが見当たらず、弘法寺を借景にしたとても雰囲気の良い街でした。
国府神社と日本福音ルーテル市川教会
国府神社は弘法寺の入口というべき場所にあります。

神社は断崖を登った場所にあります。弘法寺周辺は都内でいえば王子とか四谷並みに起伏に富んだ地形です。地形好きな方には是非是非お勧めしたいです。

小さな神社ですが不思議と奥行きを感じる境内でした。

1087年に創建され、ご神体がコウノトリの嘴と伝えられています。

コウノトリの嘴がご神体であるのは、日本武尊が東征の帰路に江戸川の渡河地点が分からず難渋していたところ、コウノトリが教えてくれたという伝説に由来しています。

日本福音ルーテル市川教会会堂は真間川のほとりにある教会です。

昭和30年に建てられた木造の教会です。登録有形文化財に指定されています。
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弘法寺を借景したとても良い雰囲気です。弘法寺周辺は高級住宅地で上品は邸宅が立ち並び、散策していると優雅な気分になります。次回は今回の散策で見つけた洋館を紹介します。

神社は断崖を登った場所にあります。弘法寺周辺は都内でいえば王子とか四谷並みに起伏に富んだ地形です。地形好きな方には是非是非お勧めしたいです。

小さな神社ですが不思議と奥行きを感じる境内でした。

1087年に創建され、ご神体がコウノトリの嘴と伝えられています。

コウノトリの嘴がご神体であるのは、日本武尊が東征の帰路に江戸川の渡河地点が分からず難渋していたところ、コウノトリが教えてくれたという伝説に由来しています。

日本福音ルーテル市川教会会堂は真間川のほとりにある教会です。

昭和30年に建てられた木造の教会です。登録有形文化財に指定されています。
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弘法寺を借景したとても良い雰囲気です。弘法寺周辺は高級住宅地で上品は邸宅が立ち並び、散策していると優雅な気分になります。次回は今回の散策で見つけた洋館を紹介します。