ゴッホ 糸杉の見える花咲く果樹園
前回は呪術的な畏れを感じる糸杉でしたが、今回は明るい感じの糸杉です。「糸杉の見える花咲く果樹園」を紹介します。

この作品は2017年に東京都美術館で開催された「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」でも見たことがあり、今回再開したことが嬉しいので選びました。
ゴッホの作品は延々と増殖する渦巻きに巻き込まれそうな錯覚を覚えますが、こちらは明るく心地よい作品です。精神状態が良好な時期に描いたのかもしれません。
春先に白い花が咲いているからリンゴ園と思われます。別の記事でも書きましたがリンゴの花は私にとっては青春時代の象徴なので、この作品に惹かれます。
さて、リンゴといえば、、、今我が家は実家から大量のリンゴが届いたので半分はジャムにしました。
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」で見た「魁(溪斎英泉による)」もどうぞ!!

この作品は2017年に東京都美術館で開催された「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」でも見たことがあり、今回再開したことが嬉しいので選びました。
ゴッホの作品は延々と増殖する渦巻きに巻き込まれそうな錯覚を覚えますが、こちらは明るく心地よい作品です。精神状態が良好な時期に描いたのかもしれません。
春先に白い花が咲いているからリンゴ園と思われます。別の記事でも書きましたがリンゴの花は私にとっては青春時代の象徴なので、この作品に惹かれます。
さて、リンゴといえば、、、今我が家は実家から大量のリンゴが届いたので半分はジャムにしました。
「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」で見た「魁(溪斎英泉による)」もどうぞ!!
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円通寺 荒川区南千住
今回紹介する円通寺は浄閑寺から隅田川に向かって歩いて10分の場所にあります。

巨大な観音様が目を引きます。23区にお寺は数多くあれど、ここまで目を引く観音様はこのお寺だけです。

今日も我々を優しく見守っています。巨大なものをみると畏怖を感じますが守られているという安心感もありますね。
このお寺は独特な雰囲気から最近建立された新興宗教と思われる方もいるかもしれませんが、791年に坂上田村麻呂が建立したという謂れがあります。

こちらは上野寛永寺の黒門です。戊辰戦争の際の弾痕がかなり残っています。このお寺には東京都の史跡である彰義隊のお墓があることでも有名です。

こちらがそのお墓です。墓石が百観音のように立ち並んでいました。官軍は彰義隊の遺体をわざと放置したそうですが、それを見かねたこのお寺の住職が丁寧に埋葬しました。

観音様がいらっしゃる本堂の入口に鎮座するお不動様です。

このお寺の近所には、江戸時代に「小塚原刑場」がありました。これは「小塚原」という地名の由来とも言われる四十八首塚です。
この首塚は、源義家が奥州を侵攻した際、討ち取った首を供養するために築いたものです。このお寺の境内は幼い子供が犠牲となったむごい事件もあり、供養するためのお地蔵様
前回紹介したお寺と次回紹介するお寺もですが、南千住は非業・無念な死者を鎮魂するお寺が集まっています。このお寺の観音様は鎮魂のためにあるのではと思いました。
このお寺の近辺にある2014年にお参りした素盞雄神社の記事もどうぞ!蘇民将来の護符に囲まれた富士塚があるので、まだ予断を許さないコロナ禍においてはお参りすべき神社かもしれません。

巨大な観音様が目を引きます。23区にお寺は数多くあれど、ここまで目を引く観音様はこのお寺だけです。

今日も我々を優しく見守っています。巨大なものをみると畏怖を感じますが守られているという安心感もありますね。
このお寺は独特な雰囲気から最近建立された新興宗教と思われる方もいるかもしれませんが、791年に坂上田村麻呂が建立したという謂れがあります。

こちらは上野寛永寺の黒門です。戊辰戦争の際の弾痕がかなり残っています。このお寺には東京都の史跡である彰義隊のお墓があることでも有名です。

こちらがそのお墓です。墓石が百観音のように立ち並んでいました。官軍は彰義隊の遺体をわざと放置したそうですが、それを見かねたこのお寺の住職が丁寧に埋葬しました。

観音様がいらっしゃる本堂の入口に鎮座するお不動様です。

このお寺の近所には、江戸時代に「小塚原刑場」がありました。これは「小塚原」という地名の由来とも言われる四十八首塚です。
この首塚は、源義家が奥州を侵攻した際、討ち取った首を供養するために築いたものです。このお寺の境内は幼い子供が犠牲となったむごい事件もあり、供養するためのお地蔵様
前回紹介したお寺と次回紹介するお寺もですが、南千住は非業・無念な死者を鎮魂するお寺が集まっています。このお寺の観音様は鎮魂のためにあるのではと思いました。
このお寺の近辺にある2014年にお参りした素盞雄神社の記事もどうぞ!蘇民将来の護符に囲まれた富士塚があるので、まだ予断を許さないコロナ禍においてはお参りすべき神社かもしれません。
ゴッホ 糸杉と星の見える道
現在開催中の展覧会の目玉は「糸杉と星の見える道」です。

左側の星?と右側の三日月が目に、糸杉が鼻に見えるので人の顔に見えたのは私だけでしょうか? 渦巻きが増殖しているように見えるので草間彌生の作品を連想しました。
精神を病んだ晩年のゴッホが、サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン・ポール・ド・モゾル精神病院での療養中に描いた作品です。
糸杉は花言葉を「死・哀悼・絶望」といい、西洋世界では死を意味する木です。そのためこの絵は、ゴッホの中にある強い死の予兆を反映している作品だと解釈されています。
死期が迫っている状況で描いたからでしょうか、執念を強く感じさせます。
名画は作品の中に吸い込まれそうな錯覚をおこします。それはそれで心地よいのですが、この作品は吸い込まれたら出てこれなそうな危険な感じと共に畏れを感じました。次回も糸杉を描いた作品です。

左側の星?と右側の三日月が目に、糸杉が鼻に見えるので人の顔に見えたのは私だけでしょうか? 渦巻きが増殖しているように見えるので草間彌生の作品を連想しました。
精神を病んだ晩年のゴッホが、サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン・ポール・ド・モゾル精神病院での療養中に描いた作品です。
糸杉は花言葉を「死・哀悼・絶望」といい、西洋世界では死を意味する木です。そのためこの絵は、ゴッホの中にある強い死の予兆を反映している作品だと解釈されています。
死期が迫っている状況で描いたからでしょうか、執念を強く感じさせます。
名画は作品の中に吸い込まれそうな錯覚をおこします。それはそれで心地よいのですが、この作品は吸い込まれたら出てこれなそうな危険な感じと共に畏れを感じました。次回も糸杉を描いた作品です。
浄閑寺 荒川区南千住
10月8日にゴッホの展覧会を見た後、南千住界隈の寺社を巡りました。まずは地下鉄三ノ輪橋駅近くにある浄閑寺です。

山門です。江戸時代に建てられた荒川区では最古の木造建築です。
手前のお地蔵様には目や鼻がなくのっぺらぼうです。
このお地蔵様は「小夜衣供養地蔵尊」といい、「悪い部分をなでると良くなる」という言い伝えがあるそうです。吉原が近くにあるので遊女達が顔をなでたからのっぽらぼうなのかもしれません。

本堂です。本堂壁面には二十五体の菩薩像が飾られているそうです。

荷風花畳型筆塚です。永井荷風はこのお寺をよくお参りしており、埋葬されることを望んでいたそうです。

このお寺は吉原の遊女達の投げ込み寺として有名です。こちらは新吉原総霊塔です。
昭和4年に1793年以来の供養塚を改修したもので、江戸、明治、大正、昭和の時代に葬られた遊女など遊郭関係者、安政、大正両度の大震災の死者も供養しております。吉原は大きな遊郭であるせいか、今までお参りした投げ込み寺の中では一番大きい供養塔です。
南千住界隈は陰と陽が入り乱れる稀有な寺社巡りが楽しめました。まだまだ続きます。
このブログで紹介している「投げ込み寺」の記事もどうぞ!
文殊院(板橋宿)
西方寺(かつて浅草にあった投げ込み寺)
成覚寺(内藤新宿)

山門です。江戸時代に建てられた荒川区では最古の木造建築です。
手前のお地蔵様には目や鼻がなくのっぺらぼうです。
このお地蔵様は「小夜衣供養地蔵尊」といい、「悪い部分をなでると良くなる」という言い伝えがあるそうです。吉原が近くにあるので遊女達が顔をなでたからのっぽらぼうなのかもしれません。

本堂です。本堂壁面には二十五体の菩薩像が飾られているそうです。

荷風花畳型筆塚です。永井荷風はこのお寺をよくお参りしており、埋葬されることを望んでいたそうです。

このお寺は吉原の遊女達の投げ込み寺として有名です。こちらは新吉原総霊塔です。
昭和4年に1793年以来の供養塚を改修したもので、江戸、明治、大正、昭和の時代に葬られた遊女など遊郭関係者、安政、大正両度の大震災の死者も供養しております。吉原は大きな遊郭であるせいか、今までお参りした投げ込み寺の中では一番大きい供養塔です。
南千住界隈は陰と陽が入り乱れる稀有な寺社巡りが楽しめました。まだまだ続きます。
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成覚寺(内藤新宿)