水神社と大谷口氷川神社
7月17日に板橋区にある神社を3社巡りました。まずは大谷口氷川神社です。

川越街道を北上し、大谷口給水所を目指します。その道中にある水神社です。
この神社がある道筋はかつて江戸の街に水を供給していた千川上水です。今は暗渠となっています。

大谷口給水所の水道タンクです。周りに高い建物がないのでひときわ大きく感じます。
この給水所は私の実家の近所にある荒玉水道道路の終点であることを後日知りました。

大谷口氷川神社の創建時期は不明ですが江戸時代中頃にはこの地にありました。


閑静な住宅街の一角にあります。大きな谷の入口という意味の地名のとおりこの神社の近くは谷のような地形になっています。

一見落ち着いた雰囲気の拝殿ですが、本殿には見事な彫刻がありました。

向拝の鳳凰です。

龍と波の彫刻が見事です。この神社の近くを流れる石神井川は近辺の田畑を潤し、北区にあった軍需工場・製紙工場を稼働させるくらいの豊かな川でしたが、時に荒れ狂うこともあったようです。この彫刻は石神井川を表したものかもしれません。


板橋区は「氷川神社」が多い区です。次回紹介する神社も氷川神社です。

川越街道を北上し、大谷口給水所を目指します。その道中にある水神社です。
この神社がある道筋はかつて江戸の街に水を供給していた千川上水です。今は暗渠となっています。

大谷口給水所の水道タンクです。周りに高い建物がないのでひときわ大きく感じます。
この給水所は私の実家の近所にある荒玉水道道路の終点であることを後日知りました。

大谷口氷川神社の創建時期は不明ですが江戸時代中頃にはこの地にありました。


閑静な住宅街の一角にあります。大きな谷の入口という意味の地名のとおりこの神社の近くは谷のような地形になっています。

一見落ち着いた雰囲気の拝殿ですが、本殿には見事な彫刻がありました。

向拝の鳳凰です。

龍と波の彫刻が見事です。この神社の近くを流れる石神井川は近辺の田畑を潤し、北区にあった軍需工場・製紙工場を稼働させるくらいの豊かな川でしたが、時に荒れ狂うこともあったようです。この彫刻は石神井川を表したものかもしれません。


板橋区は「氷川神社」が多い区です。次回紹介する神社も氷川神社です。
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磯江毅 深い眠り
今回も磯江毅です。紹介する作品は「深い眠り」です。

暗闇に浮かぶ白い肌の裸婦像はアンドロメダ銀河のようです。アンドロメダ銀河のなめらかな形、包まれるよう形をみていると女性を連想します。前回に引き続き圧倒的な技量に息をのむ作品です。
さて、今回この作品を紹介したのは、最近は深く眠りたいという気持ちがいつもより強いからです。
メンタルダウンというわけでもなく、元々寝つきが悪く、最近は熱い日、蒸す日が続き、マンションは大規模修繕中で部屋の空気が悪い日があったりで寝付けない日が増えただけです。だからこの作品は安らぎます。
余談ですが、こういう日が続いてるせいか、寝酒は止めました、スマホは寝る最低でも30分前は見なくなりました。睡眠に悪い習慣はきっぱリしなくなりました。

暗闇に浮かぶ白い肌の裸婦像はアンドロメダ銀河のようです。アンドロメダ銀河のなめらかな形、包まれるよう形をみていると女性を連想します。前回に引き続き圧倒的な技量に息をのむ作品です。
さて、今回この作品を紹介したのは、最近は深く眠りたいという気持ちがいつもより強いからです。
メンタルダウンというわけでもなく、元々寝つきが悪く、最近は熱い日、蒸す日が続き、マンションは大規模修繕中で部屋の空気が悪い日があったりで寝付けない日が増えただけです。だからこの作品は安らぎます。
余談ですが、こういう日が続いてるせいか、寝酒は止めました、スマホは寝る最低でも30分前は見なくなりました。睡眠に悪い習慣はきっぱリしなくなりました。
金光稲荷神社
金光稲荷神社は広島東照宮の境内社です。 山頂の奥宮までの階段約500段、朱塗鳥居120数基あります。


途中には徳川家康の名言が掲げられています。


道中にあるお稲荷様にはそれぞれ神社名があります。後日調べたところ、このような順番でした。
お産稲荷社 、出世稲荷社、 三狐呂稲荷社、玉成稲荷社 、 玉秀稲荷社、 高彦稲荷社 、奥宮


このお稲荷様がある山は二葉山と呼ばれており、シリブカガシという西日本に分布するブナ科の植物の群生地です。東京では見かけない植物を見ることができたのでお参りにきたかいがありました。


奥宮です。広島市内はもちろんのこと瀬戸内海の島々も見渡せます。実際はもっと雄大な景色です。生まれて初めて見る瀬戸内海の風景です。
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おまけです。広島駅で見たキハ40系です。JR東日本では営業運転していない国鉄時代の気動車なので私にはとても珍しいので撮影しました。次回は家族旅行で宮島に行きたいものです。


途中には徳川家康の名言が掲げられています。


道中にあるお稲荷様にはそれぞれ神社名があります。後日調べたところ、このような順番でした。
お産稲荷社 、出世稲荷社、 三狐呂稲荷社、玉成稲荷社 、 玉秀稲荷社、 高彦稲荷社 、奥宮


このお稲荷様がある山は二葉山と呼ばれており、シリブカガシという西日本に分布するブナ科の植物の群生地です。東京では見かけない植物を見ることができたのでお参りにきたかいがありました。


奥宮です。広島市内はもちろんのこと瀬戸内海の島々も見渡せます。実際はもっと雄大な景色です。生まれて初めて見る瀬戸内海の風景です。
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おまけです。広島駅で見たキハ40系です。JR東日本では営業運転していない国鉄時代の気動車なので私にはとても珍しいので撮影しました。次回は家族旅行で宮島に行きたいものです。
広島東照宮 広島県広島市
6月12日は帰りの新幹線に乗る前に広島東照宮をお参りしました。

広島東照宮は、徳川家光が各大名に東照宮造営を命じたことから、広島藩主浅野光晟が1648年に創建、藩主浅野光晟は家康の外孫にもあたることから荘厳を尽した社殿を造営したそうです。この鳥居は広島藩主浅野光晟の叔父が寄進したものです。

唐門が包み込むように迎えてくれます。堂々としたお姿が美しいです。

原爆の被害を逃れた江戸時代の建築物です。逃れたといっても傾いたり一部破損はしました。


唐門を飾る「鉄拐仙人」と「蝦蟇仙人」の彫刻です。この彫刻は原爆で破損しましたが、2011年に復元されました。

鳳凰の彫刻です。原爆から逃れ、創建当時の姿に復活したこの唐門を象徴するようです。

勇壮な唐門をくぐると清らかな境内です。


拝殿と本殿です。いずれも原爆で焼失したため戦後に再建されたものです。
拝殿の鮮やかな朱色は背後の杜とよく映えます。

原爆が投下された時、広島には70年間草木が生えないと言われましたが、投下の翌春に焼け跡から松が生えました。これがその松です。松は生命の力強さを象徴しますがまさにそのとおりです。

御供所です。私が不勉強なだけかもしれませんが、独立した建物として境内にある例は少ないそうです。この神社には神仏混合の名残である本地堂という建物がありますが、2022年6月12日現代修理中です。次回は今回の神社巡りのハイライトである金光稲荷神社です。

広島東照宮は、徳川家光が各大名に東照宮造営を命じたことから、広島藩主浅野光晟が1648年に創建、藩主浅野光晟は家康の外孫にもあたることから荘厳を尽した社殿を造営したそうです。この鳥居は広島藩主浅野光晟の叔父が寄進したものです。

唐門が包み込むように迎えてくれます。堂々としたお姿が美しいです。

原爆の被害を逃れた江戸時代の建築物です。逃れたといっても傾いたり一部破損はしました。


唐門を飾る「鉄拐仙人」と「蝦蟇仙人」の彫刻です。この彫刻は原爆で破損しましたが、2011年に復元されました。

鳳凰の彫刻です。原爆から逃れ、創建当時の姿に復活したこの唐門を象徴するようです。

勇壮な唐門をくぐると清らかな境内です。


拝殿と本殿です。いずれも原爆で焼失したため戦後に再建されたものです。
拝殿の鮮やかな朱色は背後の杜とよく映えます。

原爆が投下された時、広島には70年間草木が生えないと言われましたが、投下の翌春に焼け跡から松が生えました。これがその松です。松は生命の力強さを象徴しますがまさにそのとおりです。

御供所です。私が不勉強なだけかもしれませんが、独立した建物として境内にある例は少ないそうです。この神社には神仏混合の名残である本地堂という建物がありますが、2022年6月12日現代修理中です。次回は今回の神社巡りのハイライトである金光稲荷神社です。