神田稲荷めぐり2 神田教会、三崎稲荷神社と五十稲荷
10月25日に神保町界隈の神社・教会を巡りました。この記事は2013年の記事を再編集したものです。
まずは1874年に創建されたカトリック神田教会です。建物は昭和3年に建てられました。

キリスト教徒ではなく教会建築に疎いので建築様式は正直分かりませんが、東京では最古の教会ということもあって威厳を感じます。なお、聖堂は国の登録有形文化財です。

教会の屋根には十字架が高くそびえていますが、仏教の多宝塔、イスラム教のミナレット等、洋の東西・宗教を問わず人々が高いものを作るのは、天に祈りが届けということでしょうか?
寺社巡りが好きな理由の一つは古い建物や信仰の拠り所となっている場所が持つ聖なる雰囲気が好きだからです。なのでこのブログでは教会も紹介します。
神田教会から歩いて5分。水道橋駅に隣接する場所に三崎稲荷神社はあります。

鎌倉時代に現在の本郷付近に創建、その後何度か遷座を繰り返し現在地に落ち着いたのは明治時代です。

街中にある神社ですが三崎稲荷は意外と緑が多いです。

神保町にある五十稲荷神社です。

社殿等が新しくなったと聞いてお参りしました。改装前は(こちら)です。古い街並みが比較的残っている神保町ですが、新しくなる風景もまた良しですね。

とはいうものの、失われていく風景もあります。この日は研数学館と旧相互無尽会社ビルディングがないことを知りがっかりしました、、、、 神田~日本橋界隈は町ごとにお稲荷様が鎮座しているといっても過言でもないです。いつまでも街のシンボルとして残っていてほしいものです。
神保町にある他の神社の記事もどうぞ! (こちら)
まずは1874年に創建されたカトリック神田教会です。建物は昭和3年に建てられました。

キリスト教徒ではなく教会建築に疎いので建築様式は正直分かりませんが、東京では最古の教会ということもあって威厳を感じます。なお、聖堂は国の登録有形文化財です。

教会の屋根には十字架が高くそびえていますが、仏教の多宝塔、イスラム教のミナレット等、洋の東西・宗教を問わず人々が高いものを作るのは、天に祈りが届けということでしょうか?
寺社巡りが好きな理由の一つは古い建物や信仰の拠り所となっている場所が持つ聖なる雰囲気が好きだからです。なのでこのブログでは教会も紹介します。
神田教会から歩いて5分。水道橋駅に隣接する場所に三崎稲荷神社はあります。

鎌倉時代に現在の本郷付近に創建、その後何度か遷座を繰り返し現在地に落ち着いたのは明治時代です。

街中にある神社ですが三崎稲荷は意外と緑が多いです。

神保町にある五十稲荷神社です。

社殿等が新しくなったと聞いてお参りしました。改装前は(こちら)です。古い街並みが比較的残っている神保町ですが、新しくなる風景もまた良しですね。

とはいうものの、失われていく風景もあります。この日は研数学館と旧相互無尽会社ビルディングがないことを知りがっかりしました、、、、 神田~日本橋界隈は町ごとにお稲荷様が鎮座しているといっても過言でもないです。いつまでも街のシンボルとして残っていてほしいものです。
神保町にある他の神社の記事もどうぞ! (こちら)
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ヴァロットン—黒と白展①
11月11日に三菱一号館美術館で開催中の「ヴァロットン—黒と白展」に行きました。
この展覧会は一部写真撮影が可能です。今回は撮影可能な作品を紹介します。

「公園、夕暮れ」です。
今回の展覧会では唯一の油絵です。反射して見えずらいですが、おしゃべりをする3組の女性が描かれています。ヴァロットンの作品はなんとなく不穏でぞくぞくする刺激がありますが、この作品は夕暮れ時の仕事が終わりホッとする気分になります。

「ル・ボン・マルシェ」です。
見てのとおりデパートの風景です。写真撮影可能な区画にある作品はパリに生きる人々を描いたものが多く、この作品は特に活気にあふれています。一方で暴動の風景や逮捕される労働者を描いた作品もあります。

「歌う人々(息づくパリⅡ)」です。
歌詞カードらしいものを持った人々歌っています。これは青空「歌声喫茶」でしょうか?平和な気分になるのでこの展覧会の作品の中で一番気に行った作品です。
この展覧会では同時代のロートレックの作品も展示されています。見比べてみるとロートレックはいわば藤子・F・不二雄、ちょっぴりダークでも人間観察が鋭いヴァロットンは藤子・A・不二雄と感じます。次回は撮影不可の紹介します。このブログで紹介している2作品もどうぞ!
「ボール」
「トルコ風呂」
この展覧会は一部写真撮影が可能です。今回は撮影可能な作品を紹介します。

「公園、夕暮れ」です。
今回の展覧会では唯一の油絵です。反射して見えずらいですが、おしゃべりをする3組の女性が描かれています。ヴァロットンの作品はなんとなく不穏でぞくぞくする刺激がありますが、この作品は夕暮れ時の仕事が終わりホッとする気分になります。

「ル・ボン・マルシェ」です。
見てのとおりデパートの風景です。写真撮影可能な区画にある作品はパリに生きる人々を描いたものが多く、この作品は特に活気にあふれています。一方で暴動の風景や逮捕される労働者を描いた作品もあります。

「歌う人々(息づくパリⅡ)」です。
歌詞カードらしいものを持った人々歌っています。これは青空「歌声喫茶」でしょうか?平和な気分になるのでこの展覧会の作品の中で一番気に行った作品です。
この展覧会では同時代のロートレックの作品も展示されています。見比べてみるとロートレックはいわば藤子・F・不二雄、ちょっぴりダークでも人間観察が鋭いヴァロットンは藤子・A・不二雄と感じます。次回は撮影不可の紹介します。このブログで紹介している2作品もどうぞ!
「ボール」
「トルコ風呂」
ロマンスカーミュージアム
11月3日に神奈川県海老名市にあるロマンスカーミュージアムに行きました。

博物館入口近くにある自動販売機です。歴代ロマンスカーの姿をしています。


右から7000系、3100系、下段は3000系(SSE)です。3100系と3000系はTEE(ヨーロッパの国際特急)の車両みたいに優雅でおしゃれです。7000系はつい最近まで走っていたような気がします。
小田急線からも近い京王沿線で生まれ育ちました。子供の頃、車種が少なく有料の特急列車がない京王線より小田急線のほうが好きでわざわざロマンスカーを見に行ったものです。子供の頃運行されていた3つの車両が見れて嬉しかったです。

3000系(SE)です。今は高架ですが経堂駅には車庫がありロマンスカーが留置されているのを飽きるまで見たものです。

20000系です。ドラえもんみたいな配色です。なお、小田急沿線にはドラエモンミュージアムがあります。

最後に100000系です。この車両は長野鉄道で走っています。子供の頃ロマンスカーの展望席に憧れていましたが乗る機会がなく、長野に行った際に叶いました。
民鉄の有料特急は数多くありますが、私にとって乗る機会が多かったのはロマンスカー。だから懐かしのものに再開できたことが非常に嬉しかったです。
大宮にある鉄道博物館の記事もどうぞ

博物館入口近くにある自動販売機です。歴代ロマンスカーの姿をしています。


右から7000系、3100系、下段は3000系(SSE)です。3100系と3000系はTEE(ヨーロッパの国際特急)の車両みたいに優雅でおしゃれです。7000系はつい最近まで走っていたような気がします。
小田急線からも近い京王沿線で生まれ育ちました。子供の頃、車種が少なく有料の特急列車がない京王線より小田急線のほうが好きでわざわざロマンスカーを見に行ったものです。子供の頃運行されていた3つの車両が見れて嬉しかったです。

3000系(SE)です。今は高架ですが経堂駅には車庫がありロマンスカーが留置されているのを飽きるまで見たものです。

20000系です。ドラえもんみたいな配色です。なお、小田急沿線にはドラエモンミュージアムがあります。

最後に100000系です。この車両は長野鉄道で走っています。子供の頃ロマンスカーの展望席に憧れていましたが乗る機会がなく、長野に行った際に叶いました。
民鉄の有料特急は数多くありますが、私にとって乗る機会が多かったのはロマンスカー。だから懐かしのものに再開できたことが非常に嬉しかったです。
大宮にある鉄道博物館の記事もどうぞ
喜多見須賀神社と知行院
慶元寺をお参りした後、喜多見須賀神社に行きました。
承応年間(1652〜1654)に喜多見氏が館内の庭園に勧請したものです。

庭園はありませんが、神社の脇は公園になっております。浜床が長い独特な意匠です。
小さな神社ですが、湯花神事という大釜を据えて湯を沸かし、笹の葉で湯を周りに振りかける行事で有名です。この湯がかかると、一年間病気をしないといわれております。このような神事は世田谷区では唯一です。

次にお参りした知行院への道中にある竹林です。世田谷区といえば三宿、下北沢、二子玉川といったおしゃれな街や成城といった高級住宅街が多いイメージですが、一方で郊外へ行けば行くほど緑が多い区です。

私の出身高校は世田谷区の外れにあり、裏手は畑で学校の近辺には竹林も結構ありました。だからこの風景は懐かしさと親しみを感じます。竹林に流れる風のさわさわとした音は神秘的で好きです。

知行院も喜多見氏が創建した寺院です。

ややピンボケで恐縮ですが、多摩川を神格化したような龍の彫刻です。

獅子の黒ずんだところがとても渋いです。このお寺は幕府から御朱印を得ていた格式の高いお寺です。

本堂は大正時代のものです。このブログでしょちゅう言ってることですが、戦前からある建物は存在自体が神聖なものです。
世田谷区で生まれ育ちました。実家にいた頃はサイクリングが好きで荒玉水道を下って喜多見に行き、多摩川を下るまたは上るのが定番でした。
15年ぶりに喜多見を訪れました。宅地開発は進んでいますが、路地裏には畑も残り牧歌的な風景はまだ残っていました。
承応年間(1652〜1654)に喜多見氏が館内の庭園に勧請したものです。

庭園はありませんが、神社の脇は公園になっております。浜床が長い独特な意匠です。
小さな神社ですが、湯花神事という大釜を据えて湯を沸かし、笹の葉で湯を周りに振りかける行事で有名です。この湯がかかると、一年間病気をしないといわれております。このような神事は世田谷区では唯一です。

次にお参りした知行院への道中にある竹林です。世田谷区といえば三宿、下北沢、二子玉川といったおしゃれな街や成城といった高級住宅街が多いイメージですが、一方で郊外へ行けば行くほど緑が多い区です。

私の出身高校は世田谷区の外れにあり、裏手は畑で学校の近辺には竹林も結構ありました。だからこの風景は懐かしさと親しみを感じます。竹林に流れる風のさわさわとした音は神秘的で好きです。

知行院も喜多見氏が創建した寺院です。

ややピンボケで恐縮ですが、多摩川を神格化したような龍の彫刻です。

獅子の黒ずんだところがとても渋いです。このお寺は幕府から御朱印を得ていた格式の高いお寺です。

本堂は大正時代のものです。このブログでしょちゅう言ってることですが、戦前からある建物は存在自体が神聖なものです。
世田谷区で生まれ育ちました。実家にいた頃はサイクリングが好きで荒玉水道を下って喜多見に行き、多摩川を下るまたは上るのが定番でした。
15年ぶりに喜多見を訪れました。宅地開発は進んでいますが、路地裏には畑も残り牧歌的な風景はまだ残っていました。