続々 日本橋寺社巡り
緊急事態宣言が終わるまでは、東京駅近くの本部に通うことになりました。そこで、2回にわたり職場近辺の神社を紹介します。まずは日本橋にある神社です。
このブログでは「日本橋寺社巡り」・「続日本橋寺社巡り」のシリーズがあります。だからタイトルも「続々日本橋寺社巡り」です。

まずは日本橋の麒麟です。夕暮れ時は昼と夜が混在して明るいのに暗いという不思議な風景になるので好きです。

日本橋本町にある常盤稲荷神社です。
太田道灌が江戸城を築城の際、同城の守護神として京都伏見稲荷大神を勧請したといいます。
江戸時代に当時は魚市場であったこの地に遷座しました。お稲荷様は朱色の社殿が多いですがこちらは白。朱と白の組み合わせが美しい神社です。

日本橋は近代建築が多く、私はこの野村証券の軍艦ビルが一番好きです。 しかしオリンピック後は再開発によりこのビルも新たな姿になるのでとても残念です。

日本橋兜町にある大原稲荷神社です。
創建年代は不明ですが、江戸時代の末期にはこの地あったそうです。江戸時代の運河の多くは埋めたてられましたが、この神社は日本橋川から楓川に通じる運河要衝の地だったそうです。

日本橋茅場町にある純子稲荷神社です。創建年代は不明ですが、この地にあった与力同心の鎮守として祀られていたそうです。「純子」という名称は気になるところです。なお、茅場町の隣は与力同心が多く住んでいた八丁堀です。

最後に日本橋ではありませんが、日本橋の隣である八重洲にある於満稲荷神社です。
徳川家康の側室であり、初代尾張藩主・水戸藩主の母親である於満(後に出家して養珠院)を祀る神社です。ビルの隙間にあり見落としがちですが、この神社は「養珠院通り」に面しています。
於満に品々を納めていた商人たちが建立したそうです。都内にはいろいろなお稲荷様がいらっしゃりますが、お得意様を祀る神社は初めて見ました。於満という女性は人格者だったようです。次回は新富町駅周辺です。
このブログでは「日本橋寺社巡り」・「続日本橋寺社巡り」のシリーズがあります。だからタイトルも「続々日本橋寺社巡り」です。

まずは日本橋の麒麟です。夕暮れ時は昼と夜が混在して明るいのに暗いという不思議な風景になるので好きです。

日本橋本町にある常盤稲荷神社です。
太田道灌が江戸城を築城の際、同城の守護神として京都伏見稲荷大神を勧請したといいます。
江戸時代に当時は魚市場であったこの地に遷座しました。お稲荷様は朱色の社殿が多いですがこちらは白。朱と白の組み合わせが美しい神社です。

日本橋は近代建築が多く、私はこの野村証券の軍艦ビルが一番好きです。 しかしオリンピック後は再開発によりこのビルも新たな姿になるのでとても残念です。

日本橋兜町にある大原稲荷神社です。
創建年代は不明ですが、江戸時代の末期にはこの地あったそうです。江戸時代の運河の多くは埋めたてられましたが、この神社は日本橋川から楓川に通じる運河要衝の地だったそうです。

日本橋茅場町にある純子稲荷神社です。創建年代は不明ですが、この地にあった与力同心の鎮守として祀られていたそうです。「純子」という名称は気になるところです。なお、茅場町の隣は与力同心が多く住んでいた八丁堀です。

最後に日本橋ではありませんが、日本橋の隣である八重洲にある於満稲荷神社です。
徳川家康の側室であり、初代尾張藩主・水戸藩主の母親である於満(後に出家して養珠院)を祀る神社です。ビルの隙間にあり見落としがちですが、この神社は「養珠院通り」に面しています。
於満に品々を納めていた商人たちが建立したそうです。都内にはいろいろなお稲荷様がいらっしゃりますが、お得意様を祀る神社は初めて見ました。於満という女性は人格者だったようです。次回は新富町駅周辺です。
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