中丸熊野神社 板橋区熊野町
もうすぐ子供の日です。境内にこいのぼりをあげる神社も多いので中丸熊野神社を紹介します。
なお、この記事は2020年4月の記事を再編集したものです。

創建年代は不詳ですが、中世の頃、宇多天皇の皇子敦実親王14代の孫にあたる庭田主水正氏兼という人物が当地に移住し、熊野権現を勧請し、1587年に今の場所に遷座しました。

神社は交通の要所に建てられることが多いですが、 幹線道路(山手通り・川越街道)が交差し、首都高速が走る交通の要所にあります。熊野神社といえば八咫烏です。境内のあちらこちらに八咫烏様がいらっしゃります。


ちなみにこちらは2020年にお参りした際の画像です。4月初旬にお参りしたので桜も咲いていました。社殿は昭和40年代に再建されたものです。境内は玉垣で囲まれています。


本殿の左側は境内社があり、厳かな雰囲気の庭園です。
さて、この神社は川越街道に面しています。この街道は1457年に太田道灌が江戸城と川越城を結ぶ防衛線として築いたもので、太田道灌と激しく争った豊島氏は川越街道を分断することもあったそうです。この神社は案外どちらかの陣営の基地だったのでは個人的に思っています。
この神社の近くにある神社の記事もどうぞ(こちら)
なお、この記事は2020年4月の記事を再編集したものです。

創建年代は不詳ですが、中世の頃、宇多天皇の皇子敦実親王14代の孫にあたる庭田主水正氏兼という人物が当地に移住し、熊野権現を勧請し、1587年に今の場所に遷座しました。

神社は交通の要所に建てられることが多いですが、 幹線道路(山手通り・川越街道)が交差し、首都高速が走る交通の要所にあります。熊野神社といえば八咫烏です。境内のあちらこちらに八咫烏様がいらっしゃります。


ちなみにこちらは2020年にお参りした際の画像です。4月初旬にお参りしたので桜も咲いていました。社殿は昭和40年代に再建されたものです。境内は玉垣で囲まれています。


本殿の左側は境内社があり、厳かな雰囲気の庭園です。
さて、この神社は川越街道に面しています。この街道は1457年に太田道灌が江戸城と川越城を結ぶ防衛線として築いたもので、太田道灌と激しく争った豊島氏は川越街道を分断することもあったそうです。この神社は案外どちらかの陣営の基地だったのでは個人的に思っています。
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