南千住胡録神社 荒川区南千住
南千住胡録神社は前回紹介した神社から隅田川沿いに歩いて約10分の場所にあります。

同じ南千住でも前々回紹介した地区とは違い再開発された地区にあります。
神社周辺はかつて汐入と呼ばれており、戦災を免れたことから古い民家が立ち並ぶ地域だったそうです。大規模な再開発によりこの神社も遷座したそうです。

この神社には旅行祈願の際は草鞋や草履を奉納して参拝する風習があり、現在では交通安全の祈願のため奉納されています。

1561年に上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れ、当地へ逃れて永住、面足尊、惶根尊を祀ったのが始まりです。古くは第六天と称しました。ちなみに第六天を祀る神社は関西にはあまりなく東日本に多いそうです。
社号の由来は、武士の名残りを留めるため、矢をささえる武具の胡籙より胡録神社とした説と、汐入の特業であった胡粉作りの胡と、第六天の六をとり胡録神社とした説の二通りがあります。なお、足立区、千葉県松戸市から市川市にかけて「胡録神社」が点在しています。

この神社は今までお参りした神社の中では屈指の開放感がある神社です。前回、南千住の神社は「陽」といた理由この開放感が理由です。

社殿は江戸時代に建てられたものです。

この神社は墨田川が大きく蛇行する場所にあります。蛇行する大河のような龍の彫刻が見事です。
ここは墨田川が大きく蛇行した川に挟まれているため水害も多かったそうです。この彫刻は水害、震災、戦災を乗り越えたより尊いものです。

社殿の背後は墨田川です。両側はマンションですが背後を遮るものがないので空が高く感じます。
天気が良かったこともありますが、この神社の魅力は開放感ある境内でした。次回紹介する神社は私がお参りした23区内の神社では一番素晴らしい富士塚がありました。

同じ南千住でも前々回紹介した地区とは違い再開発された地区にあります。
神社周辺はかつて汐入と呼ばれており、戦災を免れたことから古い民家が立ち並ぶ地域だったそうです。大規模な再開発によりこの神社も遷座したそうです。

この神社には旅行祈願の際は草鞋や草履を奉納して参拝する風習があり、現在では交通安全の祈願のため奉納されています。

1561年に上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れ、当地へ逃れて永住、面足尊、惶根尊を祀ったのが始まりです。古くは第六天と称しました。ちなみに第六天を祀る神社は関西にはあまりなく東日本に多いそうです。
社号の由来は、武士の名残りを留めるため、矢をささえる武具の胡籙より胡録神社とした説と、汐入の特業であった胡粉作りの胡と、第六天の六をとり胡録神社とした説の二通りがあります。なお、足立区、千葉県松戸市から市川市にかけて「胡録神社」が点在しています。

この神社は今までお参りした神社の中では屈指の開放感がある神社です。前回、南千住の神社は「陽」といた理由この開放感が理由です。

社殿は江戸時代に建てられたものです。

この神社は墨田川が大きく蛇行する場所にあります。蛇行する大河のような龍の彫刻が見事です。
ここは墨田川が大きく蛇行した川に挟まれているため水害も多かったそうです。この彫刻は水害、震災、戦災を乗り越えたより尊いものです。

社殿の背後は墨田川です。両側はマンションですが背後を遮るものがないので空が高く感じます。
天気が良かったこともありますが、この神社の魅力は開放感ある境内でした。次回紹介する神社は私がお参りした23区内の神社では一番素晴らしい富士塚がありました。
スポンサーサイト
Comment
コメントの投稿
Trackback
http://5dama2.blog96.fc2.com/tb.php/1111-8f606a97