御田八幡神社と亀塚稲荷神社
突然ですが、このブログにおける西洋絵画の分類は画家の出身地です。
ロシア絵画は13作品紹介しておりますが、イリヤ・レーピンはロシア人ですがウクライナ出身、カジミール・マレーヴィチはウクライナ出身ということが分かったので「ウクライナ」という分類を設けました。イリヤ・レーピンの「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」は昨今の情勢下では違った見方になります。
前置きが長くなりましたが、今年の春は雨が降り続いていますね、、、、4月3日に国立新美術館に行った後、港区三田界隈の寺社を巡ろうと思いましたが、雨のため江戸八所八幡の一つである御田八幡神社と亀塚稲荷神社に絞りました。
「みた」八幡神社と読みます。東海道に面した参道です。
709年に創建された延喜式ある「武蔵国荏原郡御田郷 薭田八幡」とも言われております(この神社では?と思われる神社は大田区内に2社あるそうです)が、1017年ごろ創建という説もあります。いづれにせよ古代からこの地にあったことは確かのようです。
苔むした狛犬様です。雨のため風情が増しています。
戦後に復興された社殿です。社殿の裏手は崖です。
境内社の脇に崖を登る階段があります。階段を上った先には更科日記の竹芝伝説の竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を祀った塚があった亀塚公園に出ます。神社の裏にある崖を登り、公園にでると港区の芝と言われた地域は江戸湾を見渡す景勝地であったことが実感できます。この公園は塀で囲まれていましたが、かつてこの地にあった華族の屋敷のものであったことを後日知りました。
亀塚公園から三田駅方面に下る途中にある亀塚稲荷神社です。先ほどの霊亀の祀っていた祠が起源らしいです。ということは神代からからあったこととなります。事実この近辺には縄文時代の住居が見つかり、この神社の脇は古代の東海道です。
さて、港区の寺社の記事はこのブログでは3番目に多いですが、寺町であり神社も多い三田界隈は今回初めてです。東京で生まれ育ちましたが三田界隈自体初めてです。
寺社が多い地域の中で御田八幡神社を選んだ理由は、まだお参りしたことがない江戸八所八幡だからです。これにて結願です。
江戸八所八幡の他七社の記事もどうぞ!
市谷亀岡八幡宮
穴八幡宮
大宮八幡宮
鳩森八幡神社
金王八幡神社
西久保八幡神社
富岡八幡宮
ロシア絵画は13作品紹介しておりますが、イリヤ・レーピンはロシア人ですがウクライナ出身、カジミール・マレーヴィチはウクライナ出身ということが分かったので「ウクライナ」という分類を設けました。イリヤ・レーピンの「トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック」は昨今の情勢下では違った見方になります。
前置きが長くなりましたが、今年の春は雨が降り続いていますね、、、、4月3日に国立新美術館に行った後、港区三田界隈の寺社を巡ろうと思いましたが、雨のため江戸八所八幡の一つである御田八幡神社と亀塚稲荷神社に絞りました。
「みた」八幡神社と読みます。東海道に面した参道です。
709年に創建された延喜式ある「武蔵国荏原郡御田郷 薭田八幡」とも言われております(この神社では?と思われる神社は大田区内に2社あるそうです)が、1017年ごろ創建という説もあります。いづれにせよ古代からこの地にあったことは確かのようです。
苔むした狛犬様です。雨のため風情が増しています。
戦後に復興された社殿です。社殿の裏手は崖です。
境内社の脇に崖を登る階段があります。階段を上った先には更科日記の竹芝伝説の竹柴の衛士の宅地にあった酒壷の下に住んだ霊亀を祀った塚があった亀塚公園に出ます。神社の裏にある崖を登り、公園にでると港区の芝と言われた地域は江戸湾を見渡す景勝地であったことが実感できます。この公園は塀で囲まれていましたが、かつてこの地にあった華族の屋敷のものであったことを後日知りました。
亀塚公園から三田駅方面に下る途中にある亀塚稲荷神社です。先ほどの霊亀の祀っていた祠が起源らしいです。ということは神代からからあったこととなります。事実この近辺には縄文時代の住居が見つかり、この神社の脇は古代の東海道です。
さて、港区の寺社の記事はこのブログでは3番目に多いですが、寺町であり神社も多い三田界隈は今回初めてです。東京で生まれ育ちましたが三田界隈自体初めてです。
寺社が多い地域の中で御田八幡神社を選んだ理由は、まだお参りしたことがない江戸八所八幡だからです。これにて結願です。
江戸八所八幡の他七社の記事もどうぞ!
市谷亀岡八幡宮
穴八幡宮
大宮八幡宮
鳩森八幡神社
金王八幡神社
西久保八幡神社
富岡八幡宮
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