白龍神社と紀州神社
8月6日に北区にある白龍神社と紀州神社をお参りしました。
まずは白龍神社です。この神社は、白羊鉛筆の創業者小林直喜の父が、滋賀県から北海道へ移る際に、屋敷神として祀っていたものを持参して祀り続けてきた神社です。

一の鳥居に使われている木は別名アララギとも呼ばれ古くから笏の材料として用いられてますが、鉛筆の素材でもあります。

平成5年に白羊鉛筆を閉じてベネフォームへ移行する際に社を現在地に遷しました。
なお、近辺にはトンボ鉛筆の本社があります。この神社は北区が工業地帯であったことを現在に伝えています。

紀州神社は、元亨年中(1321-24)に王子に移住した紀州熊野の鈴木重尚が豊島左衛門清光に諮り、王子神社内に勧請したものです。その後現在地に遷りました。

この神社の神紋です。八咫烏と鳥居という独自のものです。

街角の小さな神社ですがこの神社に面した道路は「紀州通り」という名称があります。また、所在地である北区豊島は豊島氏発祥の地です。

豊島氏は熊野権現を勧請し、領地に多くの熊野神社を設けました。その最大のものが王子神社です。

紀州熊野の鈴木重尚が後醍醐天皇が討幕を始める直前に移住したことと豊島氏が南朝方だった事実は、興味深いですね。
街角の小さな神社は地域の歴史を今に伝える貴重な存在。これからも大切にされてほしいものです。近隣にある西福寺と豊島若宮八幡社の記事もどうぞ(こちら)
まずは白龍神社です。この神社は、白羊鉛筆の創業者小林直喜の父が、滋賀県から北海道へ移る際に、屋敷神として祀っていたものを持参して祀り続けてきた神社です。

一の鳥居に使われている木は別名アララギとも呼ばれ古くから笏の材料として用いられてますが、鉛筆の素材でもあります。

平成5年に白羊鉛筆を閉じてベネフォームへ移行する際に社を現在地に遷しました。
なお、近辺にはトンボ鉛筆の本社があります。この神社は北区が工業地帯であったことを現在に伝えています。

紀州神社は、元亨年中(1321-24)に王子に移住した紀州熊野の鈴木重尚が豊島左衛門清光に諮り、王子神社内に勧請したものです。その後現在地に遷りました。

この神社の神紋です。八咫烏と鳥居という独自のものです。

街角の小さな神社ですがこの神社に面した道路は「紀州通り」という名称があります。また、所在地である北区豊島は豊島氏発祥の地です。

豊島氏は熊野権現を勧請し、領地に多くの熊野神社を設けました。その最大のものが王子神社です。

紀州熊野の鈴木重尚が後醍醐天皇が討幕を始める直前に移住したことと豊島氏が南朝方だった事実は、興味深いですね。
街角の小さな神社は地域の歴史を今に伝える貴重な存在。これからも大切にされてほしいものです。近隣にある西福寺と豊島若宮八幡社の記事もどうぞ(こちら)
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