豊川稲荷東京別院 港区元赤坂
8月17日に国立新美術館に行った後、豊川稲荷東京別院をお参りしました。

まずは山門です。芸能関係の会社が多い港区ということもあって、寄進者の名前が描かれた赤い提灯は芸能関係の方々が多いです。

本堂です。この中に上がってお参りすることも可能です。本尊は豊川ダ枳尼眞天という女神です。古来より豊川ダ枳尼眞天=お稲荷様とされており、日本古来の信仰が守られているお寺です。

三河国西大平藩主であった大岡越前守忠相が藩地で崇敬していた曹洞宗妙嚴寺の豊川ダキニ真天を邸内鎮守として創始、明治20年に豊川稲荷妙嚴寺の東京別院となったといいます。そのせいか堂々としたお稲荷様です。

本堂の隣は普通にお稲荷様です。上の画像は奥の院と呼ばれています。白い拝殿と赤い本殿の対比が美しいです。このお寺のは曹洞宗的な質実剛健な雰囲気と、お稲荷様的な妖しさの調和が特徴的です。

この画像は霊狐塚といいます。御信者から納められた霊狐が所狭しと並んでおり、他のお稲荷様とは違った独特の雰囲気です、

少々やりすぎなほど、お稲荷様が並んでいますが、多く方々の祈りを受け止めている証拠であり、とてもありがたいですね。

最後に御朱印です。
かつて「江戸」と呼ばれた地域はお稲荷様が多いです。それは江戸が大都市だったからです。
お稲荷様信仰は伏見稲荷を中心とする形態と豊川稲荷を中心とする「ダ枳尼眞天」を信仰する2つの形態がありますが、私が知る限り、都内で「ダ枳尼眞天」の御朱印が頂けるのはこのお寺だけです。

まずは山門です。芸能関係の会社が多い港区ということもあって、寄進者の名前が描かれた赤い提灯は芸能関係の方々が多いです。

本堂です。この中に上がってお参りすることも可能です。本尊は豊川ダ枳尼眞天という女神です。古来より豊川ダ枳尼眞天=お稲荷様とされており、日本古来の信仰が守られているお寺です。

三河国西大平藩主であった大岡越前守忠相が藩地で崇敬していた曹洞宗妙嚴寺の豊川ダキニ真天を邸内鎮守として創始、明治20年に豊川稲荷妙嚴寺の東京別院となったといいます。そのせいか堂々としたお稲荷様です。

本堂の隣は普通にお稲荷様です。上の画像は奥の院と呼ばれています。白い拝殿と赤い本殿の対比が美しいです。このお寺のは曹洞宗的な質実剛健な雰囲気と、お稲荷様的な妖しさの調和が特徴的です。

この画像は霊狐塚といいます。御信者から納められた霊狐が所狭しと並んでおり、他のお稲荷様とは違った独特の雰囲気です、

少々やりすぎなほど、お稲荷様が並んでいますが、多く方々の祈りを受け止めている証拠であり、とてもありがたいですね。

最後に御朱印です。
かつて「江戸」と呼ばれた地域はお稲荷様が多いです。それは江戸が大都市だったからです。
お稲荷様信仰は伏見稲荷を中心とする形態と豊川稲荷を中心とする「ダ枳尼眞天」を信仰する2つの形態がありますが、私が知る限り、都内で「ダ枳尼眞天」の御朱印が頂けるのはこのお寺だけです。
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