エドワード・バーン=ジョーンズ いばら姫
美術館も再開しました。
今までは思いついたらすぐ行けたのですが「新しい日常」では事前予約が必要な場合もあるので煩わしさを感じるとともに雑踏の中で鑑賞することがないから落ち着いて見れるとも感じています。
「日常」が愛しくなる作品を紹介していますが、今回紹介する作品はエドワード・バーン=ジョーンズの「いばら姫」です。

王女の清らかさではあるが無防備で官能的に姿と、美しいが不穏ないばらといった対比のせいか、一見静寂に支配されてるこの作品に嵐の前の静けさといいましょうか、緊張感を感じます。コロナと共存する日常は緊張感の連続ですね。
さて、、理想の「日常」とは、枕高くして眠れることだと思います。「いばら姫」のあらすじを踏まえると、この作品に「理想の日常」を見出すのことは無理があるかもしれません、しかし、寝顔が美しい=枕高くして寝ていると思いこの作品を紹介しました。
今までは思いついたらすぐ行けたのですが「新しい日常」では事前予約が必要な場合もあるので煩わしさを感じるとともに雑踏の中で鑑賞することがないから落ち着いて見れるとも感じています。
「日常」が愛しくなる作品を紹介していますが、今回紹介する作品はエドワード・バーン=ジョーンズの「いばら姫」です。

王女の清らかさではあるが無防備で官能的に姿と、美しいが不穏ないばらといった対比のせいか、一見静寂に支配されてるこの作品に嵐の前の静けさといいましょうか、緊張感を感じます。コロナと共存する日常は緊張感の連続ですね。
さて、、理想の「日常」とは、枕高くして眠れることだと思います。「いばら姫」のあらすじを踏まえると、この作品に「理想の日常」を見出すのことは無理があるかもしれません、しかし、寝顔が美しい=枕高くして寝ていると思いこの作品を紹介しました。
スポンサーサイト
Comment
コメントの投稿
Trackback
http://5dama2.blog96.fc2.com/tb.php/695-87b848fa