続日本橋寺社巡り その3
続日本橋寺社巡りの第三弾は、人形町から東日本橋にかけてのお稲荷様を紹介します。
お稲荷様を紹介する前に、人形町3丁目で撮影した商店と蔵です。このような昔ながらの建物がひょっこりと残っている街です。

先ほどの民家の近くにあるのが橘稲荷です。由緒書きによると「当初御殿山にあったものが江戸城内へ移り、さらに将軍家御典医岡本玄冶に下賜されて、岡本玄冶の邸があった当地へ移されたといい、岡本玄冶の元姓が橘に因んで、橘稲荷と称された」とのことです。察するに、御殿山は太田道灌が城を気づいた場所なので、中世に創建されたということでしょうか?
街中のお稲荷様の中には古社といってもよいものも中にはあります。

日本橋富沢町にある富沢稲荷神社です。人形町はお稲荷様の密集地といっても過言ではなく、周辺には三光稲荷神社(こちら)、末廣神社(こちら)etcがあります。

久松神社です。久松町会館内にあります。由緒は不明です。

久松神社から見て小伝馬町の方面にある日本橋堀留町の池洲稲荷神社です。創建時期は不明ですが、かつてこの地に池洲屋敷があり、その池から現れたお稲荷様を祀った神社とのことです。

最後に東日本橋の玉尾稲荷神社です。残念ながら由緒等は不明です。

今回はいつ頃創建されたか不明のお稲荷様が多かったです。
再開発が絶え間ない東京では消えたお稲荷様も多いですが、今なおその土地に残っているということはそれだけ畏れられていると思われます。次回は続日本橋寺社巡りの最終回で日本橋室町周辺です。
お稲荷様を紹介する前に、人形町3丁目で撮影した商店と蔵です。このような昔ながらの建物がひょっこりと残っている街です。

先ほどの民家の近くにあるのが橘稲荷です。由緒書きによると「当初御殿山にあったものが江戸城内へ移り、さらに将軍家御典医岡本玄冶に下賜されて、岡本玄冶の邸があった当地へ移されたといい、岡本玄冶の元姓が橘に因んで、橘稲荷と称された」とのことです。察するに、御殿山は太田道灌が城を気づいた場所なので、中世に創建されたということでしょうか?
街中のお稲荷様の中には古社といってもよいものも中にはあります。

日本橋富沢町にある富沢稲荷神社です。人形町はお稲荷様の密集地といっても過言ではなく、周辺には三光稲荷神社(こちら)、末廣神社(こちら)etcがあります。

久松神社です。久松町会館内にあります。由緒は不明です。

久松神社から見て小伝馬町の方面にある日本橋堀留町の池洲稲荷神社です。創建時期は不明ですが、かつてこの地に池洲屋敷があり、その池から現れたお稲荷様を祀った神社とのことです。

最後に東日本橋の玉尾稲荷神社です。残念ながら由緒等は不明です。

今回はいつ頃創建されたか不明のお稲荷様が多かったです。
再開発が絶え間ない東京では消えたお稲荷様も多いですが、今なおその土地に残っているということはそれだけ畏れられていると思われます。次回は続日本橋寺社巡りの最終回で日本橋室町周辺です。
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