松虫寺 千葉県印西市
9月に千葉県印西市にある松虫寺をお参りしました。印西市4部作ともいうべきシリーズの第一弾です。

北総線の印旛日本医大駅から歩いて15分の場所にあります。
天平15年(743年)に聖武天皇が僧行基に命じて創建したと伝えられています。


朱色と青葉のコントラストが美しい山門です。いつも都会のお寺を中心にお参りしているのでとても心が洗われます。


薬師堂です。山門と薬師堂は八代将軍吉宗公の援助を受け改築されたものです。

質実剛健かつ鮮やかな朱色の山門と薬師堂は、紺のブレザーに赤系のネクタイをしたアイビーリーガーのような雰囲気です。
本尊は平安後期に改刻された七仏薬師群像で昭和34年に国の重要文化財の指定を受けています。印西市には国の重要文化財である建物・仏像があるお寺が多数あります。


上の画像は薬師堂の左にある六所神社。下の画像は松虫姫神社です。
このお寺には、聖武天皇の皇女松虫姫(不破内親王)が重い病に罹った際、夢のお告げによりこの地に下向し、当地に祀られていた薬師仏に祈り無事に回復したという伝説があります。お寺の名前は松虫姫に因むもので、最寄り駅の印旛日本医大駅は複名が「松虫姫」です。
さて、東京に住んでいると、昔から東京が栄えていたかのように錯覚します。
しかし、奈良時代から中世にかけての千葉県は利根川、印旛沼、手賀沼による内陸航路が発達してました。現在の東北・茨城。・栃木から都への物資は千葉県から東京湾を横断して運ばれており東京より栄えてたようです。
印西市は千葉県の北総地域に住んでいないと馴染みがないかもれませんが、寺社に関していえば括目すべき地域です。
※ ご本尊は秘仏で御朱印はないとのことです。

北総線の印旛日本医大駅から歩いて15分の場所にあります。
天平15年(743年)に聖武天皇が僧行基に命じて創建したと伝えられています。


朱色と青葉のコントラストが美しい山門です。いつも都会のお寺を中心にお参りしているのでとても心が洗われます。


薬師堂です。山門と薬師堂は八代将軍吉宗公の援助を受け改築されたものです。

質実剛健かつ鮮やかな朱色の山門と薬師堂は、紺のブレザーに赤系のネクタイをしたアイビーリーガーのような雰囲気です。
本尊は平安後期に改刻された七仏薬師群像で昭和34年に国の重要文化財の指定を受けています。印西市には国の重要文化財である建物・仏像があるお寺が多数あります。


上の画像は薬師堂の左にある六所神社。下の画像は松虫姫神社です。
このお寺には、聖武天皇の皇女松虫姫(不破内親王)が重い病に罹った際、夢のお告げによりこの地に下向し、当地に祀られていた薬師仏に祈り無事に回復したという伝説があります。お寺の名前は松虫姫に因むもので、最寄り駅の印旛日本医大駅は複名が「松虫姫」です。
さて、東京に住んでいると、昔から東京が栄えていたかのように錯覚します。
しかし、奈良時代から中世にかけての千葉県は利根川、印旛沼、手賀沼による内陸航路が発達してました。現在の東北・茨城。・栃木から都への物資は千葉県から東京湾を横断して運ばれており東京より栄えてたようです。
印西市は千葉県の北総地域に住んでいないと馴染みがないかもれませんが、寺社に関していえば括目すべき地域です。
※ ご本尊は秘仏で御朱印はないとのことです。
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