愛宕神社周辺のお寺
新橋界隈のお稲荷様巡りをした際、愛宕神社周辺にある「栄閑院」、「天徳寺」、「青松寺」をお参りいしました。
まずは栄閑院です。愛宕神社の裏手にあります。このお寺から見ると愛宕神社はまさに「山」であることが実感できます。

このお寺は次に紹介する「天徳寺」の塔頭で、別名「猿寺」と呼ばれています。本堂の両脇にお猿様がいらっしゃります。
このブログは寺社の建物・彫刻の素晴らしさに主眼を置いております。寺社の彫刻は龍や鳳凰といった神獣が中心ですが猿は珍しいからお参りしたくなりました。

寛永の頃、猿回しに扮した盗人が寺に逃げ込みましたが、和尚の説教で改心し、その後、諸国行脚に旅立ちました。
残された猿は寺で預かることになったが、この猿は人々に芸を見せ、その評判から「猿寺」と呼ばれるようになりました。

本殿の本柱にもお猿様がいらっしゃります。中野区にも「猿寺」と呼ばれているお寺があるらしいのでお参りしたいものです。
「猿」に因む寺社として「日枝神社」と「猿江神社」もこのブログで紹介しているのでよろしければご覧ください。

次にお参りしたのが「天徳寺」です。 この画像の板碑は港区唯一のものです。板碑でも「武蔵型」と呼ばれるものは秩父産の緑泥片岩で造られており、青銅のような色合いが美しいです。
1533年に後に江戸城となる紅葉山付近に創建、その後この地に移転しました。23区の寺社は「紅葉山」付近に創建、江戸城拡張に伴い移転という謂れが多いですね。

このお寺は江戸時代は浄土宗の触頭でした。
そして見どころはこの八角形のお堂です。格式の高さを思わすように重厚な意匠が魅力的です。

次のお参りしたのが「青松寺」です。
このお寺は曹洞宗の触頭で1476年に現在の麹町に創建、御多分もれず江戸城拡張で移転しました。

清々しさと凛々しさを連想する名前どおりの境内です。
かつて境内に「獅子窟学寮」を擁しその後、泉岳寺の学寮と吉祥寺の学寮と統合し今日の駒澤大学へと発展しました。
なお、このお寺は御朱印の授与はありませんが、日本を代表する仏師である籔内佐斗司の作品を拝観料なし気軽に見ることができます。次回は籔内佐斗司の作品を紹介します。
まずは栄閑院です。愛宕神社の裏手にあります。このお寺から見ると愛宕神社はまさに「山」であることが実感できます。

このお寺は次に紹介する「天徳寺」の塔頭で、別名「猿寺」と呼ばれています。本堂の両脇にお猿様がいらっしゃります。
このブログは寺社の建物・彫刻の素晴らしさに主眼を置いております。寺社の彫刻は龍や鳳凰といった神獣が中心ですが猿は珍しいからお参りしたくなりました。

寛永の頃、猿回しに扮した盗人が寺に逃げ込みましたが、和尚の説教で改心し、その後、諸国行脚に旅立ちました。
残された猿は寺で預かることになったが、この猿は人々に芸を見せ、その評判から「猿寺」と呼ばれるようになりました。

本殿の本柱にもお猿様がいらっしゃります。中野区にも「猿寺」と呼ばれているお寺があるらしいのでお参りしたいものです。
「猿」に因む寺社として「日枝神社」と「猿江神社」もこのブログで紹介しているのでよろしければご覧ください。

次にお参りしたのが「天徳寺」です。 この画像の板碑は港区唯一のものです。板碑でも「武蔵型」と呼ばれるものは秩父産の緑泥片岩で造られており、青銅のような色合いが美しいです。
1533年に後に江戸城となる紅葉山付近に創建、その後この地に移転しました。23区の寺社は「紅葉山」付近に創建、江戸城拡張に伴い移転という謂れが多いですね。

このお寺は江戸時代は浄土宗の触頭でした。
そして見どころはこの八角形のお堂です。格式の高さを思わすように重厚な意匠が魅力的です。

次のお参りしたのが「青松寺」です。
このお寺は曹洞宗の触頭で1476年に現在の麹町に創建、御多分もれず江戸城拡張で移転しました。

清々しさと凛々しさを連想する名前どおりの境内です。
かつて境内に「獅子窟学寮」を擁しその後、泉岳寺の学寮と吉祥寺の学寮と統合し今日の駒澤大学へと発展しました。
なお、このお寺は御朱印の授与はありませんが、日本を代表する仏師である籔内佐斗司の作品を拝観料なし気軽に見ることができます。次回は籔内佐斗司の作品を紹介します。
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